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  1: 「鳥の歌」パブロ・カザルス

S(関口):今日最初の曲はクラシックの名チェロリスト、パブロ・カザルスですね。

N(長嶺):カザルスは1930年代のスペイン内戦のときは共和国側について、反ファシスト的な立場を取ったんですね。フランコが政権を掌握した後はスペインを出て、結局スペインには戻らずにプエルトリコで死んじゃったんですけども、そのカザルスが亡命生活を余儀なくされているあいだ、コンサートの最後に必ず演奏したのが「鳥の歌」で、これはカタルーニャの民謡です。

 

2: 「秘密」熊本マリ

I(石田):バルセロナに初めて出かけたのは'88年でした。ピアニストの熊本マリさんのCD『モンポウ・眠れる詩人の歌』ジャケット撮影のためで、モンポウの家を訪ねて未亡人のピアニスト、カルメン・ブラーヴォさんに会ったりしました。

フェデリコ・モンポウは1921年から41年の20年間はパリを中心に活躍した作曲家です。そのパリ時代にエリック・サティの影響なども受けましたが、クラシックといっても当時は先端のポップ・ミュージックだったと思います。その後バルセロナに戻り、カタルーニャの民謡をモチーフにした「歌と踊り」の連作などを作りました。生誕100年の1993年には日本でも人気が出ました。

熊本マリは、70年代半ばにマドリッドでモンポウの音楽に出会ったそうです。『モンポウ・眠れる詩人の歌』は、なかにし礼プロデュース、日向敏文アレンジによるアルバムです。

 

3: 「サラニ」マリア・デル・マール・ボネット

N:スペイン内戦に勝利した独裁者フランコは、中央集権を強化するためにも、共和国側だったカタルーニャの言語や文化を禁圧しました。

そのカウンターとして60年代の前半からカタルーニャ語で歌うプロテスト・シンガーの一群が登場してノバ・カンソ(新しい歌)と呼ばれたムーヴメントを形成したんですが、マジョルカ島出身でバルセロナに移ったマリア・デル・マール・ボネットも、ノバ・カンソの流れの中から登場した女性歌手の一人です。マジョルカの歌やカタルーニャ民謡、地中海沿岸各地の作家による曲や音楽的要素をレパートリーに取り入れながら、現在も第一線で活動しています。2003年には来日もしました。

この曲は、2004年の最新盤からで、中世のアラブまたはヘブライの詩人が書いた中近東のトラッドをアレンジしたものです。アルバムは、彼女の汎地中海的着想を示すように、ダマスカスのアラブ古典音楽アンサンブルとの共演なども含んでいます。1曲目のカザルスが「カタルーニャでは鳥もピース、ピースと啼くんだよ」と言ったという話はよく知られていますが、このマリア・デル・マール・ボネットも『炎の馬』というアルバムで歌っています。

 

4: 「コンティーゴ・エン・ラ・ディスタンシア」
      マイテ・マルティン&テテ・モントリウ

S:ここでピアノを弾いているのは、ぼくが知る限り唯一のバルセロナ生まれのジャズ・ピアニスト、テテ・モントリューですね。これ、すばらしいと思うんですけど、選ばれた音楽面の理由は?

N:カタルーニャにも優れたフラメンコ歌手がいることと、バルセロナには中南米とのコネクションがあることを紹介したくて選びました。

まず、一般に生粋のカタルーニャ人はフラメンコにはあまり関心がないと言われていたんですが、1960年代の経済復興期などにアンダルシアを中心に国内移民が大量に入ってきてバルセロナ周辺に住み着いたこともあって、今では多くの優れた本格派フラメンコ・ミュージシャンを生み出しています。

先にかけたマリアが氾地中海性を追求したのに対して、1965年にバルセロナ生まれたマイテ・マルティンもフラメンコ界で高く評価される歌手なんです。ただ、今日はフラメンコの録音ではなく、同郷の世界的なジャズ・ピアニスト、テテ・モントリューとの共演でラテン・アメリカの名曲ボレロを中心に演じた1996年のバルセロナでのライヴ盤から聴いてもらいました。

カエターノ・ヴェローゾが『粋な男』でカヴァーした、キューバのフィーリンを代表するシンガー・ソングライター、セサル・ポルティージョ・デ・ラ・ルスのナンバーです。港湾貿易で栄えたカタルーニャと、1898年までスペインの植民地だったキューバとの結びつきは古くて、カタルーニャ沿岸部には今もハバネラの伝統が息づいています。

 

5: 「チャビ」ペレット

I:フラメンコにキューバ音楽の要素を取り入れたルンバ・フラメンコは、1960年代にカタルーニャで商業的成功を収めて、特にルンバ・カタラーナ(カタロニアン・ルンバ)と呼ばれます。カタルーニャのヒターノ(ジプシー)を担い手として、アンダルシアからの移民や下層階級の若者たちが主なリスナーとなっていったようです。オホス・デ・ブルッホのもとになったような音楽なんですが、これはその初期のスターでキンブ・オブ・ルンバと呼ばれたペレーという人の「チャビ」という曲です。

S:だいぶ今の音の感じになってきましたね。

I:これは70年代の録音でルンバ・カタラーナ全盛だった時代を代表している曲です。ペレットはそのカロで歌っていますが、ブーガルーの影響を感じますね。 今はバルセロナも人口200万という大都市になりましたが、昔は今の旧市街だけの小さな街で、そこから北の方に外れていったグラシアという隣接する場所はヒターノつまりジプシーの街だったんですね。

ヒターノは「カロ」という言葉をしゃべっているんですけど、カロをしゃべれる人はヒターノ以外にはまずいないそうです。いまは膨らんだバルセロナに飲み込まれていて、新しい移民やジプシーは郊外で増えています。去年のフランスの暴動でも話題になったような郊外の感じですね。ちなみにスペインではジプシーのことを「ロマ」とは言わないようです。



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