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第二部 
ボサ・ノーヴァはサンバだ
 

(8) NOEL ROSA/COISAS NOSSAS

T:ノエール・ローザは1930年代を代表するサンバ作曲家です。沢山の歌手に曲書いたけど、デビューしたときはシンガーソングライターでした。33,4年までは自分で歌った録音がけっこう多いんですね。で、ノエールを聞いて偉大だなと思うのは、歌がすごく下手でしょ(笑)。アメリカでももっと後の時代になってくると、歌がヘタなシンガーソングライターいっぱい出てくるけど、30年代にはこんなヘタな歌手が、自分の言葉で若者の日常生活を風刺的に歌うなんてことは、ありえなかったでしょう。ブラジルではボブ・ディランやジョン・レノンに相当する人が30年代からいたということですね。だからノエール・ローザのシンガーソングライターぶりは、すばらしかったと思うんです。

で、そんなノエールがこの曲で、はじめてボッサ(Bossa)という言葉を使っているんですね。そう、あのボサ・ノーヴァのボッサです。ノエールはここでボッサを、サンバのフィーリングのもっとも大事なものだという風に歌っている。ここからサンバは、だんだんとサンバ的になってゆくわけですね。

H:まあ、要するに、ここから、一番最初に聞いたあのポルテーラと、わいわいと、和気藹々とした演奏が生まれてるわけですよね。

T:ここから生まれてる。ポップなサンバがコミューナルなサンバのルーツになっている。

H:なるほど。

T:そうそう、いま思い出しましたが、ノエール・ローザっていうのはカルトーラとも仲良くて、飲んだくれてカルトーラのうちでお泊りしてずっと帰ってこないことが何度もあったそうなんですね。そんな飲んだくれたノエールをお世話したのが、娘さん時代だったドナ・ネウマさんで、ぼくは彼女ともとても仲良くなれたんだけど、彼女から聞いた話では、ノエールとカルトーラは朝まで飲んでいたそうなんですけど、そうすると起きるのはお昼過ぎですよね。で、ノエールはアゴが悪かったから卵の料理を作って持っていってあげたそうなんですが、そうすると眠たそうな顔してノエール起き出してきてね、でまたその卵をつまみに飲み始めるんだそうです(笑)。そんな生活をして、結局27歳になる前に亡くなってしまうんですが、残した作品はだいたい300曲。すごい数字ですよね。

ブラジルでサンバが誕生したのは1910年代。最初はカーニヴァルのための音楽として生まれました。そして20年代後半になって、当時の進歩的な若者たちの心を奪うわけですね。最初のエスコーラ・ジ・サンバが生まれたエスタシオ、そしてカルトーラのマンゲイラ、パウロのポルテーラといった感じで、次々とサンバの拠点が誕生するわけですが、そんな中で重要な場所のひとつだったのが、ノエール・ローザが生まれたヴィラ・イザベルだったんですね。マンゲイラなどと違って、ここは中産階級の地区ですが、エスタシオだって貧民街ではなく歓楽街だったし、サンバの拠点はファヴェーラだと決まっていたわけではないようです。だからカルトーラとノエール・ローザって意外と距離近かったんでしょうね。一方は白人で中産階級、一方は黒人で貧しい地区に住んでる。それがこうして仲良く付き合っていたなんて、アメリカあたりじゃ考えられないことだけど、ブラジルでは起こりえたということです。

H:まあちょっと全然話が脇道に逸れちゃいますけど、ブラジル何回か行って思うのは、やっぱりすごい階級社会ですよね。そうでもない?

T:お金だよね。

H:結局は、

T:アメリカと圧倒的に違うのは、黒人と白人の夫婦がいることでしょう。ただ、階層、階級っていうのは歴然としてありますね。

H:30年代、この辺のブラジルっていうのは結構好景気ですからね。

T:だからノエール・ローザのような中産階級が生まれてきたのかもしれないですね。で、そんな好景気の30年代、サンバが大爆発して、どのような音楽を生み出したのか。とりあえず、当時の人気歌手ルイス・バルボーザの「リゾレッタ」という曲、かけてみましょう。リゾレッタというのは女性の名前ですね。

 

(9) LUIS BARBOSA/RISOLETA

H:サンバって限定しなくても、世界中で、あの当時いろんなポピュラー音楽が花開いていた感じ、共通するものを感じますよね。

T:ルイス・バルボーザっていうのはね、さっきノエール・ローザが朝まで飲んでたって話しましたけど、似たようなもので、朝まで飲んで、いつも起きるのが夕方の5時か6時だったそうです。いまも昔もそうですが、歌手の声の調子を考えて、朝からレコーディングで歌入れはしないわけですよ。声がよく出るようになった夕方になってするわけです。ただ、ルイス・バルボーザは夕方が朝なんですよ(笑)。だから、彼が残したレコーディング、20何曲も聞いたけど、全部眠そうなんです(笑)。この曲だけですね、ちゃんと歌ってるのは。

H:これはヒットしたんですか?

T:彼の最大のヒット曲です。ただ、彼もノエール・ローザと一緒で、20何歳かで死んじゃいましたけど。で、この曲の歌詞の中で、さっきのノエール・ローザの<ボッサ>に続いてサンバのキーワードになる<マランドロ>という言葉が使われています。これは<やくざもの>とか、まあ仕事もロクにしないで生きている人のことですね。こんな言葉が使われていることも、サンバが確立されてきたことを証明する部分ですね。そうそう、このアルバムの解説を書くときに、それぞれの歌手たちのバイオグラフィーを調べたわけだけど、ノエール・ローザが26歳で、ルイス・バルボーザ27歳だったかな、それでヴァッソウリーニャなんて19歳で亡くなっているんですね。当時、サンバの最先端にいた人で長生きした人って、ほとんどいないんです。

H:シロ・モンテイロは別ですか?

T:シロは比較的長生きしましたね。ただ50年代になる頃に病気になったでしょ。だから晩年はアルコールを一切飲めなくて、ミルクしか飲まないマランドロって言われていたそうですよ(笑)。

H:マランドロっていうのは、

T:この時代になると、中産階級っていうのが出てきて、要するにお金が動くようになったんだよね。音楽だけで生きてゆける人や、<マランドロ>も登場した。

H:このノエール・ローザはシンガーソングライターですけど、この人もシンガーソングライターだった?

T:ルイス・バルボーザは違う。ルイス・バルボーザは歌手。いわゆる芸人一族の出身ですね。

H:歌手だけで成功した人ですか?

T:そうですね。レコード歌手、ラジオ歌手として成功した第一世代のひとりでしょうね。で、ここでそんなルイス・バルボーザと同じ時代の、みなさんご存知のカルメン・ミランダを聞いてもらいます。カルメン・ミランダも30年代後半がすごく良いんですよね。今日はカルメン・ミランダの、私が選曲したアルバムからなんですけど、「サンバとタンゴ」という曲をかけましょう。これはカエターノもライヴ・アルバムで歌ってたね。サンバとタンゴをミックスした、すごくユニークな曲です。

H:ちょっと聞く前に。カルメン・ミランダって今、例えばね、ブラジルではあんまり評価高くないとか言われるじゃないですか。

T:カルメン・ミランダは人気絶頂だった30年代終盤にアメリカに行っちゃうんですよ。それが一番大きかった。当時はブラジルを裏切ったとか言われたようです。でも近年はボックス・セットなんかも出たりして、少しは再評価されたんじゃないですか。

 

(10) CARMEN MIRANDA/SAMBA E TANGO

H:まあ、いわゆる70年代のコミュニティ・ミュージックとしてのサンバと比べると、本当にプロフェッショナルというか。

T:この曲の重要なところはね、タンゴっていうのはサンバよりもずっと早く発展した音楽だということなんです。当時のブエノスアイレスっていうのは、南米のパリと呼ばれたくらいですからね。この曲では、サンバはそんなタンゴに追いついた、肩を並べる自分たちの音楽が確立されたということを言っているわけですね。これはもう自信以外のなにものでもないです。

H:例えばですよ、田中さんのもうひとつの分野のインドネシアのクロンチョン音楽が、あるナショナルという、国民性を代表する、ナショナル・ミュージックっていうのですか、そういうものになってたわけじゃないですか。サンバっていうのはどういう位置づけだったんですか?

T:ブラジル人が、少なくとも音楽家たちがこの時代になって自信を持ってきたのは間違いないよね。

H:これがナショナル・ミュージックだって。

T:<僕たちの音楽>だっていう言葉は、さっきかけたノエール・ローザが歌っているよね。

H:まあ、例えばね、キューバでは同じ時期にソンていうのがあって、それナショナル・ミュージックとしてすごい求心力を持つわけじゃないですか。でも。こんなにポップで、そういう求心力を持ってたんですかね。

T:少なくともリオ・デ・ジャネイロの音楽としては持っていたでしょうね。ブラジルって、キューバと違って国がでかいでしょ。例えば日本人がブラジルっていうとカーニヴァルがあってアマゾンがあってって話すけど、普通のブラジル人にとって、アマゾンはすごく遠いのね。リオ・デ・ジャネイロに住んでる人は、アマゾンを同じ国だと思ってないんじゃないか(笑)。

H:サンパウロでリオのことを良く言うとみんな怒るし、リオでサンパウロのことを良く言うとみんな怒るでしょ。

T:まあ、リオとサンパウロはライヴァルだから、両方とも相手のことを悪く言うよね。でも、両方とも、例えばノルデスチ(北東部)なんてブラジルだと思ってないかも(笑)。ブラジルで<オウトロ・ブラジル>というレーベルだったか、ディストリビューターだったかがあったけど、これは<もうひとつのブラジル>という意味なのね。彼らは北東部の音楽を専門にしているんだけど、これは普段自分たちが言われてるのをそのまま名前にしちゃったんでしょうね。

H:じゃあやっぱりサンバってリオ?

T:サンバはリオで生まれた音楽ですよ。もともとお洒落な都会的な音楽なんですよ。でね、そんなサンバの都会的な部分を知っていただきたいので、30年代の録音をもう1曲かけるようにしましょう。バンド・ダ・ルアというグループなんだけど、このアルバムは、ずいぶん前に私が編集して発売したのに、当時まったく売れなくて困った一枚なんです(笑)。私が編集したアルバムなんて、スゴく売れたことなんてないんだけど、その中でもこれは特に売れなかった。でもね、内容はすごく自信作だったんです。バンド・ダ・ルアの<ルア>っていうのはお月様ですよね。だから<お月様のバンド>とい意味なんだけど、実はカルメン・ミランダと一緒にアメリカに行ったのが彼らなんですよ。で、このリーダーっていうか、リード歌手が、後にエレンコというボサ・ノーヴァ専門レーベルを作るアロイージオ・ジ・オリヴェイラだったの。ブラジル音楽の大フィクサーですよね。で、その彼が歌うんだけど、これがすごく良い歌手だったんですね。今日おかけするのは、彼らの作品の中でも最高傑作で、「あばら屋の思い出」という曲です。

 

(11) BANDO DA LUA/SAUDADE DO MEU BARRACAO

T:ミルス・ブラザースがサンバしちゃった感じで、すごくお洒落でしょう。

H:これ例えばね、歴史的にブラジルの古い音楽を聞いてない人に、これサンバだよって言っても信じないよね。

T:でも、これが<伝統サンバ>なんだよね。ここからはじまって、これがさっきのヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラに発展したわけですよ。

H:わかりますよ。そうすると田中さんの中で、ボサ・ノーヴァとサンバ、これどちらかというとボサ・ノーヴァですよね。田中さんの中ではボサ・ノーヴァとサンバっていうのははっきり区分けは無いわけですか?

T:まったく無いです。

H:おー。

T:逆にサンバとボサ・ノーヴァに区切れ目を探すのは難しいんじゃないですか。ちなみに私のレコード棚は、男性歌手と女性歌手とグループとインスト音楽に別れているだけで、サンバとかボサ・ノーヴァだけでなく、MPBとかも別にしていないんですよ。だって、厳密に分けられないでしょ。シコ・ブアルキだってカエターノだってサンバ歌うし。

H:まあ、よく言われるけどボサ・ノーヴァってどっから生まれたのかって、それはサンバ・ジ・ブレッキっていう、ちょっとブレイクのあるサンバあたりかと。サンバの中の特殊な感覚から枝分かれしたみたいな。

T:そうですね。じゃあ、ボサ・ノーヴァに行く前に、シロ・モンテイロかけますか。いわゆるボサ・ノーヴァの<ボサ>の語源になった古い時代のボッサという感覚を代表する歌手ですね。「偽りのバイーア女」という曲をかけましょう。

 

(12) CYRO MONTEIRO/FALSA BAIANA

H:この曲は、ボサ・ノーヴァにも繋がるし、今のサンバにも、もちろん繋がるし。

T:シロ・モンテイロがこの曲歌ったのは40年代前半ですよね。それで戦後に「ファヴェーラのブギウギ」っていう、日本の「東京ブギウギ」に相当する曲ですか、これをヒットさせるんだけど、シロが元気だったのはそこまでですよね。その後、体調崩して、ミルクしか飲めないマランドロになっちゃった。で、そんな感じで都会的でお洒落なサンバが停滞した頃から、エスコーラにおけるコミュニティ・サンバの世界が確立されはじめたわけですね。

H:分化していくわけですよね。

T:そうそう、シロ・モンテイロは当時ポルテーラの作曲家だったアルヴァレンガという人の曲を取り上げたりしているのね。ネルソン・カヴァキーニョの曲も歌っている。これは、コミュニティ・サンバの時代がはじまった前兆を示しているのかもしれないね。サンバは30年代に成熟して、<ボッサ>という感覚も生まれて、俺たちの音楽だ、アルゼンチンのタンゴにも負けないわよ、みたいな自信を持って、すごくぎゅっと濃縮されてきた。それが成熟の頂点に達したのがシロ・モンテイロの時代だよね。で、そのへんが全盛期。そして停滞して、今度は裏山に登ってゆくわけですよ。

H:で、だんだん、今まで聞いていただいたような、ポップなサンバっていうか、まあ一番最初に興隆したサンバっていうのが下火になっていくわけですね。

T:ノエール・ローザは死んじゃったし、カルメン・ミランダアメリカ行っちゃったし。逆に戦後はアメリカの文化がどんどん入ってくる。ちなみに、当時のブラジル人、特にリオ・デ・ジャネイロの人たちは、このときに入ってきたアメリカの文化を、少なくともお洒落なものだとは思わなかったしょうね。むしろ、自国の分野よりも田舎っぽい文化に見えたんじゃないかな。そんな田舎の文化が入ってきたから、北東部の田舎からやってきたルイス・ゴンザーガが登場する余地が生まれたのかもしれないですね。田舎の文化に対抗するには田舎の文化しかないという感じで(笑)。

H:ある意味、シロ・モンテイロあたりを分岐点にして、ボサ・ノーヴァとサンバっていうのがだんだん分かれていく感じが僕なんかにはあるんですけど。

T:この時代からサンバはあんまり録音されなくなりますね。サンバは裏山に登ってしまう。

H:それが再発見されて70年代にカルトーラが出てきたりするわけですね。

T:だから、30年代のポップな路線のサンバ、ぼくはこれを<伝統サンバ>というんだけど、それを復活させたのが・ボサ・ノーヴァだったんですね。だから私はジョアン・ジルベルトの最初の3枚は、サンバ復興の時代を告げた名盤だと思ってる。

H:誰もそんなこと言わないよ(笑)

T:そうですか、私がおかしいのかな(笑)。そうそう、ジョアン・ジルベルトで思い出したんだけど、エリゼッチ・カルドーゾが最初に「想いあふれて(シェガ・ジ・サウダージ)」を録音したときに、ジョアン・ジルベルトがギターを演奏したでしょう。そのときの録音でね、ジョアン・ジルベルトがエリゼッチに言ったんだって。「エリゼッチ、そんな張り上げて歌っちゃだめだよ。もっと軽く歌わなくっちゃ」って。デビューする前のジョアン・ジルベルトだから、当時は単なる無名のアンちゃんですよ。一方のエリゼッチはすでに大スター。きっとプロデュースしたジョビンはジョアン・ジルベルトに対して、困ったやつだ、お前は黙ってギターだけ弾いてりゃいいんだよ、と思ったでしょうね(笑)。でもね、確かにエリゼッチはあの曲を歌いこみすぎていたわけですよ、ジョアンの言うように。プロフェッショナルがプロフェッショナルの姿を見せすぎちゃった時代だったんですよね、あの頃は。

H:要するにいわゆる50年代っていうと、サンバっていうのが低調になってきて、サンバ・カンソンの時代なんですよね。

T:この時代の歌手は、みんなすごくプロフェッショナルですね。30年代はさ、まあカルメン・ミランダはプロフェッショナルだったけど、ノエール・ローザみたいに歌はヘタなくせに歌っちゃう人もいた(笑)。まだまだアマチュアっぽさが残ってるわけですよ。でも50年代は成熟の極地。エリゼッチもあ〜って歌い上げちゃうわけですね。

H:ひばりさんみたいにね。

T:ぼくはエリゼッチの方が断然好きだけど、まあ言っている話の方向性は間違っていません(笑)。きっとジョアン・ジルベルトはギター弾きながら不満に思ったんでしょうね。これは違うよ、サンバじゃないよ、と。

H:そのジョアンの感覚がサンバだ、っていうことですか。

T:そうです。ジョアン・ジルベルトは本当のサンバ感覚を取り戻してくれた人だよね。再構築した、と言ったほうがいいのかな。まあ、実は「想いあふれて」という曲は、あまり粋なサンバらしさがない、というか、原題の意味は<サウダージなんて、もううんざり>という意味なんだけど、歌詞や曲調はサンバ・カンソーン的な部分が強いというか、エリゼッチが思わず歌い上げちゃってもしょうがない曲なんですよ。まあ、力作という感じかな。ジョビンが一番力を込めて作った曲ですね。

H:まあ、ある程度成熟して、ドラマティックじゃなきゃだめだってことですよね。

T:そうそう。いま言った<サウダージ>というのは、懐かしさとかそういう意味なんだけど、これがサンバ・カンソーンのもっとも重要なテーマだったのね。だから、このタイトル、ちょっと過激だったんですよね。で、そんな感じで<サウダージ>を打破して、30年代サンバのもっとも重要テーマだった<ボッサ>にシフトしてくれたのが、ジョアン・ジルベルトが歌った「ジサフィナード」という曲だったと思うんですよ。これ、かけてみましょう。

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