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第二部 
ボサ・ノーヴァはサンバだ
 

(13) JOAO GILBERTO/DESAFINADO

H:田中さんのおっしゃるとおり、最初の方に聞いたギリェルミとか、カルトーラとか、その辺の感覚とそっくりですよね。バックのオーケストレーションを別にすれば、

T:だから私のレコード棚ではボサ・ノーヴァを分けてないんですよ。

H:でも誰もこれサンバって言わないよね。今はね。

T:まあ、他の人はそうかもしれないけど。そうそう、いまこれを聞いてて思い出したんだけど、ジョアン・ジルベルトって、ちょっと素人っぽい歌い方をするでしょう。でも、この人、もともとバンド・ダ・ルアの後輩みたいなヴォーカル・グループで歌ってたり、プロの経歴はけっこう長いんですよね。要するに、彼はわざとこうして素人っぽく歌っているんです。この「ジザフィナード」も、すごく軽々とした曲というか、大プロフェッショナルな作曲家の曲という感じじゃないでしょ。私はそこが良かったんじゃないか、という気がするんです。こうして音楽シーンがリフレッシュされたんですよ。だって、こういう音楽を聞いてロベルト・メネスカールとかナラ・レオーンとかが登場するわけだけど、たぶん彼らはジョアン・ジルベルトがわざと下手くそに歌ってるとか、ジョビンが手を抜いて作曲しているとは思わないでしょ(笑)。これでいい、というより、これがいい、と思ったと思いますよ。だからか、ナラ・レオーンは最初から下手だったし、最後まで下手だった(笑)。私はナラ・レオーンの偉大なところは、最後まで歌が上手くならなかったところだと真面目に思っているけど、そんな彼女の存在がジョアン・ジルベルトやジョビンが作り出した方向性をさらに前に進めたよね。ノエール・ローザにますます近づいちゃったわけですよ。

H:ある種、そのアマチュアリズムっていうか、要するに素人臭いギターの弾き語りみたいな感覚っていうのは、やっぱりブラジル音楽の根幹であると。そういう風にお考え?

T:お考え(笑)。まあ根幹っていうか、私にとってのブラジル音楽の良さっていうのが、そういうところじゃないかなと思っているだけだけどね。

H:例えばギリェルミのね、ラストレ・コーディングだって、悪く言えば、入れ歯が取れそうな声で歌ってるわけじゃないですか。で、ああいうものを、例えば日本で、演歌で録音できる人がいるかって言ったらいないわけですよね。そういう伝統が無いっていうよりも、そういう音楽が無かったっていうことですよね。

T:ブラジル音楽のすばらしいところは、こういうアマチュアリズムを掬い上げて、ちゃんとレコードも作れる回路があるということだよね。これって、世界にそうはないことなんじゃないかな。ゲットーに住んでる作曲家の曲を大スターが取り上げるとか。それに、ジョアン・ジルベルトが、まあわざとではあっても、ああいうアマチュアっぽい歌い方をして、でもバックは見事なまでにプロフェッショナルなオーケストラだったりするわけでしょう。すごいプロフェッショナルがやってるのに、でも素人っぽい人が歌うことがちゃんと許される。それが良いものであれば。

H:まあ、カエターノなんて最たるものですね。

T:そうそう、カエターノだって全然上手くならないよね。偉大だよね、ナラ・レオーンと一緒で(笑)。

H:なんか、よれよれでね。

T:ブラジルにはそういう人、他にも多いし。

H:それが国民的なスターなんだと。ああいう人っていうのはやっぱり...、

T:普通の国だったら、アルバム20枚も30枚も残せないですよ。


第3部 
ブラジル音楽のベースとしてのショーロ、
そしてピシンギーニャという存在
 

T:30年代のサンバをいろいろ聞いていただいたのですが、ここからはますますもっと古い時代のブラジル音楽っていうのかな、古いスタイルのブラジル音楽を聞いてもらいたいと思います。ショーロって音楽がそれですね。これは私の持論なんですけど、サンバの良い作曲家、例えばトン・ジョビンなんかもそうだけど、みんなショーロの感覚を持っている、という気がします。それにサンバの伴奏をするのも、伝統的にショーロの音楽家たちなんですね。そういう意味で、ショーロはサンバのルーツのひとつです。まあ、そんな堅苦しい話よりも、まず1曲聴いてもらいましょう。これは1999年にビクターで出たアルバムで、私がプロデュースしたんですけど、1900年頃のショーロはこんな感じだったんじゃないか、というテーマのもとで作りました。その中から「愛しい花」という曲をかけますね。

 

(14) GRUPO DO CHORO 1900/FLOR AMOROSA

H:さっきかけたショーロ聞いてみるとものすごくヨーロッパ的って言っていいのかわからないけど、アーティスティックな感じはしますよね。

T:この曲は19世紀の後半、1870年頃に作られたそうですけど、すばらしく成熟した音楽ですよね。しかも、現在まで普通に演奏され続けているなんて、さらにすばらしい。ところで、ボンフィグリオ・ジ・オリヴェイラというトランペット奏者が1913年に録音した「フラメンゴ」という曲を『ショーロ歴史物語』という編集盤に収録したんだけど、これがまたすばらしいんですね。1913年というと、ジャズの初録音より前のことですよね。でも、ボンフィグリオって、ルイ・アームストロングなんかより断然上手いんですよ。これもまた、ブラジル音楽なんですね。さっきまで、歌の下手な人がいるのがブラジル音楽だ、みたいな話をしてきたので、ちょっと極端に思えるかもしれないけど(笑)。

H:両極端。

T:もうひとつ聞いてもらいましょう。古い時代のショーロの音源なんて、日本では他のレコード会社はなかなか出さないので、うちの商品ばっかしを紹介することになっちゃってすいませんが、ピシンギーニャとベネジート・ラセルダっていう、これはショーロの両巨匠ですよね。これは1940年代の録音です。

 

(15) PIXINGUINHA & BENEDICTO LACERDA/1 A 0

H:当時、世界水準から見ても最高の演奏だよね。これだけ、リズムの制約もなく、高度なアドリブ性も発揮されて、

T:ベネジート・ラセルダがフルートで主旋律を演奏して、ピシンギーニャがサックスで裏メロというか、ブラジルではコントラテンポっていうんですけど、対旋律を演奏しているわけですね。このコントラポントというのは、ピシンギーニャのお師匠さんだった人が教えてくれたものらしいのですが、彼はそれを現代化して演奏したわけです。実はね、この録音は両者にとって晩年というか、全盛期を過ぎた後の録音だったんだけど、実はこの時点でのピシンギーニャは、オーケストラ・スタイルによるブラジルのジャズというものも完成させていて、だからここでの演奏は、ラセルダとピシンギーニャの2管だけでオーケストラの縮小ヴァージョンを聞かせてくれている感じなんでしょうね。

H:ある種クラシカルな手法も入ってると。

T:ブラジルではクラシック音楽の伝統がまだ生きているとも言えるかもしれません。で、ピシンギーニャっていうのは、ブラジル音楽の父と呼ばれている偉大なアーティストなんですけど、もともとショーロのフルート奏者で、ベネジート・ラセルダっていうのはピシンギーニャのフォロワーだったわけですね。ただ、1920年代にオス・オイト・バトゥータスというグループのメンバーとしてフランスのパリに行く機会があって、そこでジャズに出会ってしまうんです。ジャズが生まれてすぐの時代ですよ。だから、ピシンギーニャがパリで出会ったのがどんなジャズだったのかは、よくわからないのですが、とにかく大きかったのは、そこでサックスを買ってブラジルに持ち帰ったことですね。で、一緒に行ったドンガという人がいて、最初のサンバと言われる「電話で」という曲を作った人なんですけど、この人はバンジョーを買いました。そしたら、ショーロの楽団がいきなりジャズバンドになっちゃったんですね。ドラム・セットかなんかも入って。そのときの写真がすごいかっこいいんだけど、ただ当時のこのグループの録音を聞くと、これがあまりジャズっぽくなくて、写真ほど格好良くないんです(笑)。まだ写真に音楽がついていってなかったんですね。でも、ピシンギーニャはちゃんと責任を果たしてくれた。そこで目指した音楽を完成させてくれたわけです、10年後くらいに。そのときの楽団名が、グループ・ダ・グァルダ・ヴェーリャというんですけど、これはタンゴで古い世代の音楽家、あるいは伝統派みたいな意味で<グァルディア・ビエハ>という言葉が使われていたのをポルトガル語化したものでしょうね。これが、なんともすばらしいブラジルのジャズ。まったくのジャズではなく、ジャズ・オーケストラ風の編成によるアフロ・ブラジリアン音楽というか、当時の最先端の音楽を作ってくれたわけですね。で、ここで思い出していただきたいのですが、このグァルダ・ヴェーリャというのは、最初のほうでかけたヴェーリャ・グァルダ・ダ・ポルテーラの<ヴェーリャとグァルダ>と、ひっくり返ってますけど、まったく同し意味なんです。

H:ブラジル行ってレコード屋さん行くと、コーナーにヴェーリャ・グァルダって書いてあるじゃないですか。あ、すげえ、こんないっぱいポルテーラがあると思って見ると全然関係ない(笑)。

T:ピシンギーニャが作ったジャズ風のオーケストラに付けたりするわけね。

H:古い時代の音楽家はみんなヴェーリャ・グァルダ?

Tそうですね。ボサ・ノーヴァの音楽家だって、いまじゃヴェーリャ・グァルダと呼ばれることがあります。

H:とりあえず古いものっていうことで。

T:そうそう。古いものです。ただ、ピシンギーニャがこのグループ名をつけたのは、ひょっとしたらそういう意味じゃなかったかもしれませんね。だって、このグループでは明らかに最先端の音楽を目指していたわけですから。そんな時代の彼らの録音から、「黒人の会話」という曲を聞いてもらいましょう。

 

(16)   GRUPO DA GUARDA VELHA/CONVERSA DE CRIOULO

H:これもサンバ?

T:ジャンルですか? さあ、これは何でしょう? 私もわかりません。ルンバっぽいですよね。1932年といえば、「南京豆売り」というルンバが流行った年なので、ピシンギーニャもそれの2番煎じを狙ったのかもしれませんね(笑)。でも、これもまたブラジル音楽の真実なんですよね、私にとっては。ピシンギーニャって、いまは「カリニョーゾ」とか「ラメント」とかの美しい曲を書いた名作曲家だという認識なんですけど、実はこんなお茶目なこともやっていたんですね。私がピシンギーニャの音楽を聞きはじめてから25年が経過しましたけど、いまになってやっとこの人の本質がわかったという気になりました。だから『ブラジル音楽の父』という編集アルバムを作ったんですね。

そうそう、私がプロデュースしたり編集してきたブラジル音楽のアルバムはたくさんあるんだけど、最初のうちはすごくオーソドックスな、というか、伝統的に聞こえるものを作ってきて、それからだんだんとこういう、ふざけてるわけじゃないんだけど、立派というのとは違うタイプの音楽に奥深さを感じるようになったってきた。25年かかって、<伝統>という言葉に表される音楽が変わってきましたね。

H:でも、カルトーラ聞き始めて、今のエスコーラ聞いて、そこで止まっちゃってる人っていうのはかなり多いですよね。

T:そういうのは、すごくもったいないですよね。

H:で、サンバとボサ・ノーヴァの間にも一線引かれちゃってるわけだし。

T:やっぱり一線引いちゃうと止まっちゃうんでしょうかね。

H:止まっちゃいますね。シコ・ブアルキがサンビスタだって言われてもちょっとね。トム・ジョビンがサンビスタだって言われてもちょっとわからないですよね、一線引いてしまえば。

T:まあ、私はトム・ジョビンが作った音楽こそ、<伝統サンバ>だと思っているけど、ブラジルにおいて<ホンモノのサンビスタ>という言葉は、いまや黒人のエスコーラ系のサンバ音楽家のことしか指さなくなりましたからね。だから、トム・ジョビンを<ホンモノのサンビスタ>だなんて言うのは私だけで、ブラジルにもいないでしょうね。

H:それは、まったく、そうでしょうね(笑)。

T: まあ、そんなことはともかく、<伝統>と<ポップ>なんて二元論でものを見ないで、そんな区分けを解体するような聞き方をしたほうが、音楽はいろいろ楽しめる、という、ただそれだけのことです。

それじゃ最後に、エンディングテーマっていうか、これも私がプロデュースしたアルバムなんですけど。もう20年ぐらいの付き合いになるエンリッキ・カゼスのアルバム作りまして、日本でも出しました。その中で1曲、日本とブラジルの友情を曲に現してみようと、こんな曲を作りました。古賀政男の「東京ラプソディ」と、カルメン・ミランダもアメリカで歌って有名になった「チコ・チコ・ノ・フバー」のメドレーです。

 

(17)   HENRIQUE CAZES/TOKYO RAPSODY TICO TICO NO FUBA

 

 


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