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6: 「ウェイステッド・デイズ、ウェイステッド・ナイツ」 
      サー・ダグラス・クインテット

K:ほれぼれするような唄い方です。身体をこんなに気持ち良く鳴らすことができる歌手も西洋圏では珍しい。ギターやフィドルなどの演奏も自然で素晴らしいですよ。アメリカの最も豊穣な音楽のバックグラウンドの中で生まれ育ったのだろうということが良く判ります。ブルースやケイジャン、バイユー・メロディーにテックスメックスとアメリカ南部、テキサスのいいとこ取りのような。ディランが彼のファンだったのもうなずけます。

 

7: 「ラヴシック・ブルース」 ハンク・ウィリアムス

K:ジミー・ロジャースとならび、アメリカのシンガー・ソングライターのプロトタイプであり、カントリー界最大のスターです。南部出身ならではの、白人のバラッドやマウンテン・ミュージックにヨーデル、それに黒人のブルースをまぜあわせた、生きた音楽のケミストリーでした。そして濃く生々しい存在感とカリスマ性はエルヴィス・プレスリーもかないません。CDはベスト盤がたくさん出ているので、お好きなのを選んでください。

 

8: 「ライク・ア・ローリング・ストーン」 ボブ・ディラン

S:ディランはどうでした?

K:当時は特に好きじゃなかったけど、今になって良さがわかります。これはイギリスでのコンサートだけど、フォークの象徴だったはずのディランがエレキ・ギターを持って登場した瞬間に、オーディエンスから「ユダ!」なんてかけ声がかかる。とくにイギリスの聴衆は、アメリカの白人がそういうスタイルでやるのがイヤだったんじゃないでしょうか? それにあの頃の会場の音響はディランとザ・バンドが出していた音をちゃんとオーディエンスに伝えていたとも思えませんし。ディランは、フォークとロックの狭間、伝統と前衛のボーダーを歩いて、つねに先を行っていたんですね。

この曲の歌詞も当時はピンと来てなかった。かつては華やかだったけど今は落ちぶれた人間をなじってるのかなぁ? とか。今歌詞のディテールを見ると、じつは15世紀から16世紀にかけてイベリア半島を吹き荒れた異端審問の風、その風に吹かれまくって中世のディアスポラになった自分の先祖やルーツを生なましく唄っているんです。一種のトピカル・ソングじゃないでしょうか。誰かをなじるのではなく、「あ〜あ、やんなっちゃった〜」と自分に向けて唄っている。説得力があるわけです。決してお涙頂戴や“プロテスト・ソング”ではないんです。彼の独特のクールでクレージーな感覚は、何世代もの積み重ねでできあがっていったものなんですね。

この感覚が哲学や音楽、アートとして中世から近代をひらいた……とかいっても、きっと本人はそんなつもりじゃない、とはぐらかしそうですけどね。こんな夢を見ただけだ、とか。私もずっとファンだったわけではないのですが、今になってなるほど、思います。“No Direction Home”は人ごとではないといいますか。

 

9: 「ボールド・アズ・ラヴ」 ジミ・ヘンドリックス

K:ジミヘンはイギリスへ渡って急にファッションも演奏スタイルも変わったんです。渡英前は髪をポマードでべたっと撫で付けて、光り物のタキシードを着てるみたいなソウルでロケンロールな出で立ち。それがスウィンギング・ロンドンで超いけてる男になった。カーナビー・ストリートなファッション、LSDやオシャレなロンドンの生き方に触れて、ワイルドな自分を伝統的なブルースから解放することに成功しました。人種差別的なアメリカとは違う英国流のメロウな若者のありかたも解放にヘルプしたのではないでしょうか。

飛行機に2時間乗れば、自分のルーツを覗くのにはピッタリのモロッコという魔法の場所にいくこともできた。そしてブリティッシュ・インベージョンの波に乗ってアメリカに凱旋。すばらしいケミストリーですね。ディランも田舎のミネソタからニューヨークに移ってほんの数ヶ月でアーティストとして生まれ変わったのと同じく、シアトルから来た若いブルースマンはロンドンで革命期時代のロバート・ジョンソンとして生まれ変わったのでしょう。

 

10: 「ボックス・オブ・レイン」グレイトフル・デッド

K:私の青春ですね、デッドは。フォーク、ジャズ、ボサなどの音楽性とセンスにはまっていた自分をサンフランシスコ・サウンドが解放してくれたんです。学生時代を過ごした京都のバックグラウンド音楽としては最高でした。初期のデッドのアルバム・カバーはすべてフライング・ソーサーとして機能します。当時、ウッドストックのニュースも伝わってきて、もうこれは音楽だけじゃないと思い、渡米を決意しました。

1ドル=360円の時代の渡米は今の宇宙旅行みたいなものだったけど、カラフルな3Dの世界に行くしかないと思ったんです。ウッドストックの映画もたしかバークレーの映画館でまったくコンサートと同じような状態で見たんじゃなかったかな。3ヶ月のニューヨーク滞在はメランコリックで映画の『真夜中のカウボーイ』みたいな感じ。

3ヶ月のベイエリア滞在はウッドストックそのままでした。コミューンを泊まり歩いたりヒッチハイクで動いたり。これは滞在中にリリースされて、当時一番好きだったアルバムです。人気がうなぎ上りになっていたころで、チケットをとるのが大変だったけど、偶然ブラック・パンサー支援コンサートをデッドがやることになり、帰国2週間前にやっと生を見ることもできました。2000人くらいが入る小さい体育館で、最高に楽しいライヴでしたね。

 

11: 「ファースト・ガール・アイ・ラヴド」
      インクレディブル・ストリング・バンド

K:よく冗談にいうのですが、「私はフィルモア大学に留学してました」と。それほど入り浸ってました。ザッパやジェファーソン、デッドがかかってる時も、無理と思いつつもフィルモアの前で「スペア・チケット?」をやってました。有名なバンドは売り切れで見られなかったのです。ただ、ライヴ・アルバムの録音もされたタジ・マハールやローラ・ニーロは見ました。デビュー前のジャクソン・ブラウンが前座だったり、ティム・バックレーやジュディ・コリンズ、モーズ・アリスンなど皆よかったです。

その中でも最も印象的だったのは、スコットランドからきたこのグループです。アシッド・フォークがワールド・ミュージック化したようなレコードも好きだったのですが、ライヴは100%ヒッピーのカルト集会ですごかった。比べるならば、ジョアン・ジルベルトを東京国際フォーラムで見る東京の中年組というところかな。音楽鑑賞以上に宗教的というか、魂の交換がある。

違いは超盛りあがるところ。生ギター、オルガンに女の子が弾くバイオリン・ベースというほぼフォークな編成だけど、下手うまながら侮れない演奏、ハッピーな雰囲気、それに独特の歌詞とメッセージがオーディエンスを天に昇らせるのでしょう。両手を挙げて「ウォー」って感じ。知的ながらスノブ・フリーの環境は最高に楽しかったです。

 

 

 


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