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第1部 
メキシコ音楽・百花繚乱
 

「ラ・クカラチャ」小林千代子

関口(以下S):このけったいな曲は、なんですか?

上野(以下U):一番最初にかけました音楽は、みなさんがよくご存知の「ラ・クカラチャ」ですね。小林千代子さんという方が歌っています。昭和9年、西暦1934年に日本で初めて録音されたメキシコ音楽です。日本で録音されたラテン音楽全体では、今も音源が残っている範囲で3曲目ということです。

S:一番最初はなんだったんですか?

U:昭和5年の「南京豆売り」ですね。これが日本で録音された一番最初のラテン音楽だと言われています。「ラ・クカラチャ」はもともと、1910年から1917年まで続いたメキシコ革命の中で生まれた作者不詳の音楽です。タイトルはスペイン語でゴキブリなんですね。日本ではあえてゴキブリとは訳さずに、原題をそのまま使ったわけです。コーラスの間に入る歌が、恋の歌なんですよ。そこでまさか「ゴキブリゴキブリ」歌うわけにもいかなかったんでしょう。日本にはアメリカの短編ミュージカル映画の挿入歌として入ってきて、それを聞いたビクターの人間がいけるんじゃないか、と録音したのがいま聞いていただいたものです。

 

01:「ラ・クカラチャ」 Dueto los Pajareros

U:では、もともとのメキシコ革命当時はどんなふうに歌われていたか、がこちらの録音です。メキシコ革命時代に録音されたままの音は残ってないわけですが、これがメキシコの定番音楽ですから、この曲には星の数ほど録音があります。これはたぶんギター一本でやってますね。これがほぼ、ですけども原曲に近い「ラ・クカラチャ」だと理解してください。

S:これは何人くらいの歌い手が歌ってるんですか?

U:たいへん多くのバリエーションがあって、一言では語れないのですが、そもそも何故「ゴキブリ」がメキシコ革命の歌になったかを説明しなくてはなりません。今聞いていただいた原曲に近い「ラ・クカラチャ」は、“コリード”というジャンルに入ります。コリードというのは、情宣歌や教宣歌、つまり情報伝達手段として使われた歌なんですね。メキシコ革命というのは、農民たちが戦力の主体になって当時の独裁者を倒した、一種の農奴革命でしたが、農民たちには文盲の人が多かったので、革命の意義や戦況などを伝えるために歌が多用されました。それがコリードで、中でも一番有名なのが「ラ・クカラチャ」だというわけです。で、タイトルですけど、当時の農民が黒い麻の服を着ていたのと、兵士と一緒に行動していた女性たちが黒い大きな鍋を背中に背負っていたので、後ろからみるとまるでゴキブリのように見えたところから付いたものです。

メキシコは広大な国ですから、地方ごとにまったく異なるさまざまな文化があったのですが、そこに全国的な革命が起きて、没交渉だった北の人間と南の人間の交流が始まりました。それと、いったんスペインの征服によって滅ぼされた先住民族の文化も、革命のとおきに見直されて、音楽面も含めて多様な民族覚醒運動も起きました。そんなことからメキシコ革命というのは文化的な革新が進んだという意味でもすごく重要な時代だったと思います。

 

2: 「アスタ・シエンプレ」 オスカル・チャべス

U:キューバ音楽のファンだったら知ってる方もいると思いますが、キューバ革命のヒーロー、チェ・ゲバラの賛歌で、歌っているのはオスカル・チャべスというメキシコの現代のコリードを代表する歌手です。キューバのカルロス・プエブラというミュージシャンが作ったものですね。ちなみにチェ・ゲバラの賛歌っていうのは、現在知られているだけで200曲近くありますが、この曲が一番有名です。

キューバ革命のときには多くの音楽家がメキシコに滞在していました。なかにはペレス・プラードのように革命を嫌ってそのままメキシコで活動を続けてメキシコ人になってしまった人もいます。ほかにもアルゼンチンのタンゴ歌手のリベルタ・ラマルケとか、あるいは映画監督のルイス・ブニュエル、彼はスペイン人ですね、のように、メキシコは亡命者をたくさん受け入れてきた歴史を持っているんですね。中南米のさまざまな国からやってきたそういう亡命者たちの音楽文化が、当然大きな影響をメキシコに影響を与えているわけで、メキシコ音楽の多様性というのは、ひとつにはそこから来ているわけです。

 

3: 「ポル・ウン・アモール」 ルチャ・レイエス

U:メキシコ音楽というと、もっとも良く知られているのはマリアッチだと思いますが、このマリアッチというのは本来、楽団のことを指します。大きなテンガロン・ハットをかぶってメタリックな制服を着て歌う歌手のうしろで伴奏をする楽団のことですね。それで歌そのもののほうをランチェーラと言います。これらの形式がほぼ固まったのが1930年代のことで、その後メキシコ音楽のランドマーク的なものになっていくわけです。ハリスコ州が発祥の地とされています。

いま聞いてもらった女性歌手のルチャ・レイエスは、そのマリアッチやランチェーラが全国的に知られていくきっかけを作った一人なんです。初期のランチェーラにはクラシックの声楽を勉強した人が多くて、彼女もソプラノ歌手でした。メキシコの交響楽団とヨーロッパを公演するほどの実力者だったんですけども、病気で喉を痛めてから大衆歌謡のほうに移籍して、たいへん有名になった人です。

彼女が活躍した時代は、メキシコ映画の黄金時代でもありまして、映画が主要な輸出産業になっていたほどです。当時のランチェーラのスターたちは例外なくこうした映画の主役も務めていて、そうした映画が歌を流行らせたんですね。日本でよく知られているペレス・プラードなどもキューバからメキシコに来たきっかけの一つは、メキシコ映画に出演することでした。マンボやチャチャチャも映画を通じて流行りましたし、音楽の普及にあたって映画の果たした役割はとても大きなものがあります。このルチャ・レイエスの後にたくさんの歌手が出てきますが、最近ブラジルのカエターノ・ヴェローゾも歌っている「クックルクク・パローマ」を世界的に有名にしたロラ・ベルトランもその一人です。

 

4: 「エル・レイ」ホセ・アルフレッド・ヒメネス

U:今度は男性の代表的なランチェーラ歌手、ホセ・アルフレッド・ヒメネスの代表曲を聞いてもらいました。

S:一緒に歌っているのはフリオ・イグレシアスみたいですね。

U:ええ、これはヒメネスが亡くなってから彼を追悼して作られたレコードで、生前の録音にフリオ・イグレシアスの声を重ねています。この「エル・レイ」は、ランチェーラの十八番みたいな曲で、メキシコ人だったら誰でも知ってるし歌える、そういう曲です。このマリアッチ、ランチェーラの興隆期には、ルチャ・レイエスやアルフレッド・ヒメネスのほかにもペドロ・インファンテ、ハビエル・ソリス、ホルヘ・ネグレテなど、いろんな歌手がいたんですが、何故かみんな30代、40代で夭折してます。彼らのあとはヴィセンテ・フェルナンデスという歌手が長い間君臨しました。

映画がランチェーラとマリアッチを有名にしたと先ほど言いましたけど、映画ですからヴィジュアル要素が必要なわけですよね。そのためにランチェーラ、マリアッチ楽団の服装は最初は簡素なものだったのに、だんだんとよく知られているようなテンガロン・ハットにメタルちっくな制服になっていくわけです。ああいう服装のことをメキシコでチャロと言います。そもそもは同じくハリスコ州発祥のチャレアーダっていう国技の服装がそのまま今のマリアッチ楽団やランチェーラ歌手たちの正装になったものです。

 

5: 「へフェ・デ・へフェス」 ロス・ティグレス・デル・ノルテ

U:これはノルテーニョという音楽で、日本ではあまり知られていませんが、メキシコではランチェーラ、マリアッチとほぼ互角に渡り合っているジャンルです。そのなかでいちばん有名な、男性6人組のロス・ティグレス・デル・ノルテというグループを聞いていただきました。ノルテーリョっていうのは、「北方」「北の」という意味で、その名の通りアメリカ南部からメキシコの北部にかけての一帯で生まれて、メキシコ北部で盛んに演奏され、歌われた形式です。メキシコでは今まさに現在進行形で人気があります。

このグループ、じつはアメリカ南部の出身でアメリカ国籍の人たちなんですね。後半の宮田さんのお話と関わってきますが、メキシコの音楽のかなり大きな部分が、アメリカとの国境を越えて存在するわけです。ご存知のようにアメリカのヒスパニック人口が現在3,500万人ぐらいになっているわけですけども、それの大半がメキシコ系ですよね。

メキシコ系の人たちは当然アメリカではバイリンガルなわけで。スペイン語の歌も楽しめれば英語の歌も楽しめる。つまり、アメリカではスペイン語の歌への需要が十分あるわけです。このロス・ティグレス・デル・ノルテも最初はアメリカのチカーノ、メキシコ系の人たちを相手にして仕事を始めたんですが、やがてメキシコまで南下していって、今ではメキシコを中心に中米ですごく人気があります。そういうノルテーニョ・グループが今はもう星の数ほどたくさんいるんです。

 


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