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第2部
チカーノ・ミュージック
 

70年代 ラテン・ロック

17: 「ビバ・チラード」 エル・チカーノ

M:黒人音楽で使われていたハモンド・オルガン、東海岸で起きてたブーガルーやサルサ、それにラテン・パーカッション、それらを組み合わせていったところから、サンフランシスコのサンタナとはちょっと違うラテン・ロックが生まれました。その中で一番最初にヒットしたのがこの70年の「エル・チカーノ」なんですが、今のは貴重な音源です。

83年にあるロサンゼルスのラジオ局がチカーノ音楽を特集したときの録音で、曲をかける前にメンバーの一人がインタヴューに答えてるんですね。彼らははじめはVIPというグループ名だったところを、プロデューサーのエディ・デイヴィスが「いやお前ら、エル・チカーノっていう名前でいけ」と。まだチカーノっていう言葉はネガティヴに使われていましたから、大きな衝撃を受けた人々はわき起こっていたチカーノ・ムーヴメントの中でさらに興奮して支持したわけです。

このシングル盤がリリースされた直後に開かれたチカーノ最大のラリー会場で、有名なチカーノ新聞記者が偶然警官に射殺されてしまうというショッキングな事件もあって、いっそうチカーノ・パワーが盛り上がりました。この曲はその象徴として後世に残った、そういう曲ですね。演奏もイーストLAのダークでグルーヴィーな感じというか、チカーノ的な感覚が含まれていると僕は思います。


18: 「リトモ・デル・コラソン」サポ

M:ラテン・ロックの王道もかけたほうがいいかなと思いまして、ブラス・ロックの名演を聴いていただきました。サンタナに影響を受けたサンフランシスコ周辺のバンド、サポです。

サンタナともふつうのサルサとも違う、チカーノ・ソウルとでも言ったらいいんでしょうか、独特の粘っこい感覚を持ってます。同時に、チカーノ・ムーヴメントが沈静化たところで、若者たちがもう1回メキシコ的なものを振り返ろう、という動きもあって、そのひとつがメキシコの壁画に影響を受けて、ヴィジュアルが町中に描かれる、というものでした。オロスコとかシケイロスに影響を受けたものなんですけど、そこに抑圧されているチカーノのたちの姿を重ねて独自の表現を作っていったわけです。

音楽のほうでも、フォルクローレに戻っていったバンドもあったんですけども、有名なロス・ロボスがデビューする前にイースト・ロサンゼルスのレーベルで2千枚だけ作ったアルバムがあって、その中で非常に美しいメキシコの音楽をやってますので、次はそれを聴いてください。

 

19: 「インプロラシオン」ロス・ロボス

M:今のスペイン語は英語訛りなんですよね。純粋なメキシコ人がやるボレロとは違います。そのあと出てくるギターのフレーズもどこかブルージーなんですね。

80年代に有名なチカーノのラジオ番組がひとつだけありまして、パンチョというDJが毎週土曜日の夕方にDJショーをやってました。彼はギャングの言葉使いで若者たちに「ちゃんと学校行ってるか?」「勉強してるか?」などとひたすら語り続けながら、ロマンチックな音楽をかけるんです。この人、本職は大学の先生で、チカーノのコミュニティの中ではそんなふうに個人が小さな活動をして助け合っています。

じつは今日かけた曲はほとんど彼がかけていた曲で、ぼくは彼のラジオでチカーノ音楽を勉強させてもらったんです。このロス・ロボスのアルバムには「サボール・ア・ミ」という有名なボレロが入ってますけども、そういうボレロの名曲はイーストLAの高校の卒業パーティーなんかでも当時かかってたらしいですね。ソウルやロックンロールもあるけど、チークタイムはボレロだったようです。

ところでイースト・ロサンゼルスの西の端、ボイル・ハイツには多くの日系人たちも暮らしていて、ルーズベルト・ハイスクールの生徒の半分くらいが日系人だったんですよ。日系人のカー・クラブもあったそうですし、ある日系人女性の証言によると、チカーノの音楽を聴いていたんだそうですが、その日系人たちはどう思っていたんだろう? というのを僕は今一番調べているところです。

 

80年代:ロー・ライダー・ミュージック

20: 「トゥゲザー」ティエラ

M:中米の内戦のあと80年代に入ると、ロサンゼルスには多くのラティーノたちが難民として一気に押し寄せます。それによってチカーノが作り上げたハイブリッドな位置が、ラティーノたちに埋もれて見えなくなるんですね。スペイン語のメディアも強くなったので、チカーノは英語のメディアからもスペイン語のメディアからも見えにくい存在になっていく。

S:南のほうからド〜ッと大勢の難民が入って来たということは、移民2世や3世じゃなくて、現役のメキシコ人も増えてくるわけですよね。そうするとチカーノとの区別が曖昧になってしまった、ということもあったわけですね?

M:はい、そうですね。チカーノたちは新たな移民たちに対して、もちろんウェルカムでもあるし、同時につきあいづらい面もあったみたいで、たとえば難民たちへの蔑称も生まれました。そこには僕らの想像が及ばない複雑な事情があったと思います。この曲は、チカーノ文化が一番花開いていた70年代後半の勢いを受け継いだ、当時の輝かしい結果のひとつです。イースト・ロサンゼルスのテーマ・ソングといっていいくらいですね。いまでもずっと聴かれ続けていて、スペイン語とかいろんな言葉のヴァージョンもあります。チカーノ音楽を好きな人は絶対に聴かなくちゃいけない曲です。

ティエラは、ルーディーとスティーヴのサラス兄弟がイーストLAで組んだバンドで、彼らはスペイン語を喋れないんですが、子供の頃からメキシコ音楽をパーティーで歌って有名になりました。のちにこのソウル・バンドを結成して、7インチのシングル盤を、しかもお金がないので片面だけのシングル盤を自費で作ってロサンゼルス中のラジオ局にまいたら、それが最後は全米で大ヒットしたというわけです。

当時日本でもリリースされてサーファーの人たちに受け入れらました。ストリート的な感覚の中のロマンス性、センチメンタルなチカーノらしさがこの歌にはうまく表現されていますね。コーラスの中にはトリオ・ロス・パンチョスとかボレロの影響もあって、なんとなくメキシコの風が吹いています。

 

21: 「チカーノ・パーク」ロス・アラクラネス

M:エル・サルバドルをはじめとする中米からの難民やメキシコ人たちが新たに流入してくるなかで、従来からアメリカで暮らしていたチカーノたちは自分たちのアイデンティティを見直して、改めてメキシコ的な表現を見直すミュージシャンが出てきます。

そのひとつの要素にフォルクローレがあって、それを見事にチカーノ的に演奏した素晴らしい例が、この「チカーノ・パーク」です。マリンバやアルパ(ラテン・ハープ)などもとり入れて、こういうフォルクローレ的なフォーマットでソウル・ミュージック的なものを演奏しています。

この歌のテーマになっているチカーノ・パークというのはサンディエゴに実際に存在する公園です。あるバリオに突然高速道路ができあがって、みんながいつも遊んでいた土地には警察署を作るという話が持ち上がったんですね。それに対してサンディエゴ周辺のバリオの人たちが立ち上がって反対運動をした、その成果としてできあがったのがチカーノ・パークです。今も有名な場所で、高速道路の柱の下に壁画がたくさん描かれてまして、チカーノに興味のある人は必ず訪れなくてはいけない聖地になってます。

 

22: 「ラ・ラサ」キッド・フロスト

M:これはヒップホップです。ヒップホップが起こったのは東海岸ですが、西海岸でも同じようにブレイク・ダンスのシーンがあって、そのDJがみんなチカーノやブラックだったんですね。このキッド・フロストはそこから出てきた人で、チカーノ初めてのラッパーとしてヒットさせたのがこの曲です。

ライムではパチューコのカローを復活させてます。さきほどかけたエル・チカーノの「ビバ・チラード」がサンプリングされてますね。アルバムのタイトルはまさに80年代の状況を指しています。突然ラティーノたちが増えて、町中にスペイン語が溢れるようになり、ロサンゼルスがパニックになったんですね。このころの本当に荒れていたロサンゼルスの雰囲気を非常によく表していると思います。当時僕は六本木のWAVEで働いていたのですが、この12インチ・シングル盤をひと月で130枚売りました。

今やロサンゼルスのヒップホップ・シーンの半分以上はチカーノたちに占められていて、その中にはスパニッシュだけのラップもあれば、この曲のように混ざっているものもあれば、一切スペイン語は使わないラップもあり、いろんなフォーマットでヒップホップをやってます。

S:いわゆるロサンゼルスのギャングスターとは影響し合ってるんですかね?

M:ほんとのギャング・スターもいますが、キッド・フロストに実際に会ってみたら、彼のギャング的なアティテュードは意識的に演出されているという印象を受けました。でも本当にチカーノのことを知ろうと思ったら、上っ面だけじゃなくて、ストリートの破れ目から中に入っていかないとダメです。

 

90年代:メインストリームへの同化と抵抗

23: 「チカーナ・スカイズ」ケッツァル

M:90年代に入ってロサンゼルスの人口の半分以上をチカーノが占めるようになり、つい最近はチカーノの市長が誕生しましたし、チカーノの勢いはたいへんなことになってるわけですが、ラティーノ文化がメインストリームになっていくにつれて、その波に乗っかっていく音楽もあれば、敢えて抵抗してチカーノの伝統……インディペンデントであること、コミュニティを大切にすること、そういう伝統を引き継いで演奏活動をする人たちもいる。その両方を最後に聴いていただきますが、まずケッツァルというグループです。

メンバーは大学を出ているので、チカーノの中ではエリートの部類かもしれませんが、とても苦労して大学を出て音楽活動をしていて、音楽によって自分たちのコミュニティを築いていこう、という高尚な理想を持った人たちです。彼らは2枚目と3枚目のアルバムをメジャー・レーベルから出したあと、そことケンカしちゃって、4枚目は自分たちの自主レーベルから出す予定です。最近はメキシコのハローチョ・ミュージックのグループと共演したり、レイジ・ザ・アゲインスト・ザ・マシーンにいたザック・デ・ラ・ロッチャとイーストLAで一緒に演奏したりしています。

S:リストの中にバリオ・ゴールドというレーベルが多いですけど、これは?

M:私のレーベルです。そういう名前でやってます。

S:つまり、これらのアルバムはミュージック・キャンプから国内リリースされていて、現在入手可能だ、ということですね。

M:そうです。ぜひ応援してください(笑)。レイジ・ザ・アゲインスト・ザ・マシーンといえば、彼らの歌詞にはスペイン語が混じっていたり、きわめてチカーノ的な発言があったりと、ザックのお父さんは有名なチカーノの壁画アーティストだったり、彼らがチカーノだということは一目瞭然です。ロック系のメディアではまったく触れられてないので一言だけ。

 

24: 「ノー・ヘイ・マネー」 アクウィド

M:メイン・ストリームになったラティーノたちの中には、カンペシーノ=田舎者のまま一種のメキシコ性、土着性を全部露出して表現していこうという流れがあって、これはすごく面白い動きです。チカーノのように英語を使ったりソウル・ミュージックと融合したりしない。それがヒップホップと融合して、スパニッシュ・ラップが勢いを持つんですが、その最右翼のバンドがこのアクウィドです。

メンバーは2人とも確かハリスコ州出身で、ふだんは英語で話し、音楽はスペイン語でやっています。ある意味では非常にダサいセンスなんですが、どこか聴かせるものがある。この曲ではなんとバンダをサンプリングしてます。

去年は、名古屋のヒップホップ系の人たちが彼らを日本に呼んで公演させています。東京でも芝浦で朝の4時からパーティーがあって、日本中からロー・ライダーたち、つまりコアなチカーノ・フォロワーが集まって、とても良い雰囲気でした。

驚いたことに日系ペルー人がたくさん来ていて、このチカーノ・ラップをフォローしてるんですね。そして、その日系ペルー人から影響を受けた日本の地方の若者たちが日本人なのにスペイン語でラップをやったりしています。そんな形でチカーノ性はいろんなところにしみこんでるんですね。



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