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第一部:バイーア
  01:「バイーア・コン・ H (アガ)」
    ジョアン・ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル

中原(以下N):バイーア、そしてノルデスチ。じっさいはバイーア州も地理上はノルデスチ‐‐北東部の一部と言っちゃっていいんですよね。

船津(以下F):もちろんそうですね。

N:バイーア州と、その北のペルナンブーコ州を中心とするノルデスチ=北東部は、ブラジルの音楽だけではなく、国の成り立ちに始まってブラジルのすべての出発点になっているんですね。そういう源流の音楽には、じつに色々なタイプの音楽がありますので、さっそく曲をかけて、気分を地球の反対側の、春になりかけといっても充分に暑いバイーアに飛ばしましょう。

まずはバイーア出身、11月に三たび来日しますジョアン・ジルベルト、彼とは師弟関係にあたるカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルの3人による「バイーア・コン・H 」を聴いていただきました。

タイトルは「 H 付きのバイーア」という意味で、ポルトガル語で「 H 」は「アガ」と言うんですが、じつは H という言葉は発音しないんですよ。なぜこういうタイトルなのか、東京外語大学ポルトガル語学科出身の船津さんに解説してもらいましょうか。

F:バイーアは「 BAHIA 」と綴りますが、本来は H のない「 BAIA 」で、「湾」という意味の言葉です。ところがポルトガル語では「 H 」は発音しないので、どちらでも読み方は「バイーア」で同じになります。なぜ地名のバイーアの場合は H が入っているのか、というと、これは謎なんです。以上豆知識でした。

N: 3 人ともバイーアの出身なわけですが、ジョアン・ジルベルトは 50 年代の終わりにボサノヴァのスタイルを完成させた人、あとの二人、カエターノとジルはそれ以降の 60 年代後半から現在までブラジルのポピュラー・ミュージックのリーダーであり続けている人です。ジルに至っては今や文化大臣もやっているほどになりました。

 

2: 「ケン・ヴェン・プラ・ベイラ・ド・マール」
     ドリヴァル・カイーミ

N:バイーアは非常に多くの素晴らしいアーティストを輩出していて、まさに音楽の溶鉱炉と言ってもいいと思います。そのバイーアのルーツと言えばこの方、ドリヴァル・カイーミ。すでに 92 歳ですが、ご健在です。

F:今はちょっと体調を崩して入院しちゃってるんですよね。

N:ギターの弾き語りで聴いていただきましたが、 1930 年代からシンガー/コンポーザーとして活動していますし、ジョアン・ジルベルトもカイーミの作品をたくさん歌っています。ものすごく良い曲ばかりで困るんですが、バイーアの海にちなんだ曲が多くて、これもそのひとつです。

F:カイーミの曲はバイーアだけじゃなくて、ブラジル全土でカヴァーされてますよね。リオの人もサンパウロの人もみんなカバーしている。

N:もはやバイーアのローカル・ミュージックを越えた存在ですね。サンバのシンガー/コンポーザーとしても大ヒットを飛ばしたので、サンバの世界でもリスペクトされていますし。

曲のほとんどがバイーアの自然、風物、宗教、食べ物、そして女性を歌っているんですが、今の曲などは「一度海のほとりに来た人はもう二度と帰りたくなくなってしまう、海の女神を想いながら」といった曲で、まさにバイーアの海のほとりに座ってギターを弾きながら歌っているようなイメージかなあ、と。

僕の中でカイーミは、なぜか沖縄の嘉手苅林晶さんの島唄と非常に重なってます。気候もバイーア、ノルデスチと沖縄はすごく似てますしね。

F:すごく似てますよね。

N:カイーミは詞もほとんど自分で作りますけど、歌詞が非常にシンプルで、難しい言い回しはぜんぜんしていません。ですから、ちょっと辞書をひけばどんなことを歌っているのかすぐにわかります。そんな簡単な言葉なのに、じわーっと沁み込んでくるんですね。音楽とか歌を通じてポルトガル語に興味があるという方は、カイーミの曲を聞きながら歌詞カードを見ることから始めると、ポルトガル語を覚えやすいんじゃないでしょうか。

 

3: 「カンチコ・パラ・エシュー」
     アフォシェー・フィーリョス・ヂ・ガンジー

N:バイーアの州都サルバドールというのは、ブラジルの歴史上アフリカからの奴隷船が最初に到着した港なんです。街の中心に人身売買の市場があって、そこから北東部の農園に売られていったという、非常に悲しい歴史が残っているところでして、現在ブラジルで最もアフリカ系の人口比率が高いところです。

F:サルバドールは " 黒いローマ " って言われていますね。

N:バイーアにはアフリカからのさまざまな文化が入ってきて、ここからブラジル全土に渡っていったわけですが、面白いことにアフリカではほとんど残っていないような風習や文化が、サルバドールに残っているんですよ。

アフリカからブラジルに伝わった文化の一番代表的なものに、カンドンブレという宗教があります。キューバのサンテリアやハイチのブードゥーの親戚にあたるもので、西アフリカをルーツとする多神教ですね。海の女神様とか雷の神様とか、日本の八百万の神と同じようにいろいろな神様がいて、その神様たちを讃えたり神様と交霊の儀式をやるときに、太鼓を叩いて歌を歌います。

その太鼓のリズムが、バイーアからさらにリオに渡ってサンバのリズムのルーツになったと言われています。そういった風習を受け継いで、音楽だけでなく舞踏も含めて独自の文化活動をしている団体が今もたくさんあるんです。

そのひとつがこのアフォシェー・フィーリョス・ヂ・ガンジーというグループです。全員が白いターバン、白装束、それから首飾り、ブルーの数珠という出で立ちで、カンドンブレの儀式に使う楽器を演奏しながらカーニバルでパレードします。 1950 年にはカーニバルに出ていたそうですから、かなり歴史も古いですね。

タイトルの「エシュー」というのはカンドンブレの神様の中で、一番いたずらをする神様らしいんですよ。なのでカンドンブレの儀式では最初にエシューを讃えて、「これからの儀式で私たちの邪魔をしないでください」とお願いするんですね。これはそのエシューに捧げる曲を元にしています。

ここでちょっと楽器の解説を船津さんにしてもらいましょうか。

F:ずいぶんたくさんの打楽器が出てきましたが、最初がまずアゴゴですね。その後はシェケレといって、すごくでっかいひょうたんみたいなのにビーズをつけて、ジャカラカチャカラカ鳴らす楽器です。

N:キューバ音楽でも使われていますね。

F:そのあとはアタバキ。これは大きなコンガといえばいいでしょうか。神様ごとに違うリズムを叩かなくちゃいけないんですけど、アタバキは低音・中音・高音の 3 つを組み合わせて、それぞれの神様のリズムをつくります。

N:ここでアゴゴが叩いている " カンカンカカン、カンカンカカンカ " っていう独特のリズムは、イジェシャーというんですけど、これがバイーアのもっとも特徴的なリズムと言えます。いろんな曲の中に入っていて、たとえばカエターノ・ヴェローゾもジルベルト・ジルも、もっと若い世代のバイーアのアーティストも、アルバムを一枚聞いていると、このイジェシャーのリズムが必ず出てきますよ。言ってみればバイーアの " 通奏リズム " かもしれません。

F:楽器を持ってくれば良かったですね。

N:このフィーリョス・ヂ・ガンジー、 " ガンジーの息子たち " という意味ですが、なぜブラジルのバイーアの、しかもアフリカ系の人たちがインドのガンジーなのか?これはマハトマ・ガンジーの非暴力・平和主義の精神に非常に共鳴して、「我々もガンジーの息子たちである」と名乗ったんですね。ですからターバンを巻いたりしているわけなんです。

アフリカをルーツとしていながら、そこにまったく違った文化とのミクスチャーがある。これはある意味でブラジルのミクスチャー文化の典型じゃないかと思います。

F:メンバーは男性だけなんですよね。

N: " 息子たち " ですから。でも今は " 娘たち " のグループもあります。じつはこのグループ、毎年サルバドールのカーニバルでパレードをするんですが、とにかく参加メンバーが多くて、彼らと同じ衣装を着た連中がいろんな場所にいっぱいいるんですよ。

じつは、カーニバルではフィーリョス・ヂ・ガンジーの衣装を着ているやつが一番女にモテるんです(笑)。という裏話はともかく、このフィーリョス・ヂ・ガンジー、まさにカンドンブレの儀式で使う音楽をストリートに持ち込んだパイオニアです。

 

4: 「ヘヴォルタ・オロドゥン」オロドゥン

N:オロドゥンは来日もしてるので、ご存知の方もいるでしょう。正しくは " 文化団体オロドゥン " と言います。彼らは、アフリカをルーツとするバイーアの人たちが、自分たちのルーツを見直そう、そして民族としての誇りを持とう、と主張する文化団体なんですね。同時に政治的な側面もあって、彼らの本部を訪ねたら、壁にいきなりチェ・ゲバラのポスターやキューバの地図、それにボブ・マーリーのポスターが貼られてました。

アフリカをルーツとする世界各地の音楽と連帯して、「アフリカをルーツとする人々よ、みんなでひとつになろう」というわけです。まさにかつてボブ・マーリーが提唱した " アフリカ・ユナイト " の発想ですね。

F:実際そういう内容の曲が沢山ありますよね。

N:この曲はかなり昔の録音で、歌とパーカッション・アンサンブルだけのかなりネイティヴな音楽です。彼らの歌詞は非常に思想性が強いんですが、これも今日にふさわしい、北東部全体をテーマにしたものです。

F:もうひとつの特徴はパーカッションのリズムですね。このリズム・アンサンブルを聴くと、リオのサンバの源になっていることがよく分かりますね。おもにヘピニケ、カイシャ、それにスルドという3つの楽器で演奏しています。

スルドというのはリオでの言い方ですが、一番大きくて低い音が出るスルドが動きを作ることでリズムが歌ってますね。それと刻みのリズムはふたつで、カツツカツツカツツ、カツツカツツって、これはスピードをすこし上げれば、リオのサンバそのものですね。

N:このリズムのことを彼ら自身は " サンバヘギ " 、つまり " サンバレゲエ " と呼んでいます。どこがレゲエなの? と思うかもしれませんが、レゲエ特有のンチャ、ンチャっていう裏拍にギターを合わせるとちゃんとハマるんです。

F:スルドが低音を出していて、ヘピニケがカツカツって刻んでいる。もう 1 つスネアドラムみたいなのが、ツツカカツツカカツツカカと叩いていて、これはもろにレゲエと同じ組み立てなんですよね。

N: " サンバレゲエ " を作ったのはオロドゥンのリーダー、ネギーニョ・ド・サンバですが、彼に聞いたら、もちろんレゲエからの音楽的な影響もあるけれど、スタイルとしてのレゲエではなくて、むしろボブ・マーリーを代表とするレゲエのアーティストのスピリットや歌詞のメッセージ性への共感として " サンバレゲエ " と言ったんだそうです。ルーツは一緒なわけで、一種のミクスチャーといっていいと思います。

 

5: 「キ・ブロコ・エ・エッシ?」イレ・アイェ

N:イレ・アイェは、オロドゥンと同じく " ブロコ・アフロ " と名乗っているグループです。 " ブロコ・アフロ " は " アフリカ団体 " とでも訳せばいいでしょうか。

F:そうですね。

N:このイレ・アイェの方がオロドゥンより歴史が古くて、1974年に発足しました。

F:名門ですね。

N:はい。ここは結構厳しくて、3曲めにかけたフィーリョス・ヂ・ガンジーは、僕らのような外国人でも、早めに行けばカーニバルに参加させてもらえるんですけど、イレ・アイェはサルバドールの郊外のコミュニティに根ざしていて、しかも圧倒的にアフリカ系のブラジル人が多く、アフリカ系のブラジル人じゃないと正式メンバーにはなれないという厳しい決まりがあるそうです。

これは'99年に出た25周年を記念アルバムからの曲で、プロデューサーはアート・リンゼイです。「このブロコは何だ? 俺たちはイレ・アイェだ」と、そんなことを歌っています。このリズムにいったんハマってしまうと、2時間でも3時間でも聞いていたくなりますね。

とにかく歌詞が非常に強いメッセージを発信しています。「何てブロコだいこれは、知りたいよ、黒人の世界だ、あんたに見せてあげよう、あたしたちはいかれたクレオールさ、私たちの髪は硬いんだ、ブラックパワーなんだ」「白人のあんたがもし私たちの本当の価値を知ったなら、きっと泥水を浴びたように感じるよ。そしてあんたも黒くなるのさ」とまあ、そんな歌詞の曲です。

F:じつに強烈ですね。

N:この曲はジルベルト・ジルが70年代にレコーディングしましたし、かなりスタンダード化しています。イレ・アイェを讃えた曲も、例えばカエターノ・ヴェローゾが作っていますし、多くのバイーア出身のアーティストが彼らをリスペクトしていますね。

アート・リンゼイは北東部育ちのアメリカ人ですが、自分が今までにプロデュースしたアルバムの中で、これほど誇りに思うものはない、感謝してる、と言っていました。

ちなみにオロドゥンはかつてポール・サイモンと共演したり、マイケル・ジャクソンがサルヴァドールの中心地でオロドゥンの人たちとビデオクリップを撮ったりしてます。

F:でも、世界がオロドゥンやバイーアに気づいたのは、'80年代末から'90年代初頭ですよね。

N:ブラジル国内でも、オロドゥンやイレ・アイェの存在がバイーア以外で知られるようになったのは'80年代後半ぐらいからで、その頃にいち早く目を付けたポール・サイモンはさすがではあります(笑)。

 


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