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第一部:バイーア
6: 「マリニェイロ・ソ」ドナ・エヂッチ・ド・プラト

N:アフリカからやって来たブラジルの人たちが、おそらくは奴隷時代から自分たちの休みのときの楽しみで始めたサンバの一種を " サンバ・ヂ・ホーダ " と言います。それがずーっと受け継がれて、じつは今のリオのサンバにも繋がっているわけです。

F:直訳すると " 輪のサンバ " という意味になります。

N:実際にみんなで輪を組んで、手拍子のリズムに乗って歌を歌います。歌はコール・アンド・レスポンスといって、リード・シンガーが何かを歌うと、それに周りがレスポンスを返す形式です。歌いながらひとりひとりが輪の内側に入って踊るわけですね。ダンス、形態、リズムも含めて、本当にリオのサンバのルーツと言えると思います。

サンバ・ヂ・ホーダは、バイーア州ではずっーと古くから伝統として受け継がれてきました。いま聴いていただいたのは、カエターノ・ヴェローゾやマリア・ベターニアの出身地でもあるサント・アマーロという町があるんですが、そこで長いあいだお皿をナイフでこすってリズムを出しながらサンバ・ヂ・ホーダを歌っているおばあちゃま、ドナ・エヂッチ・ド・プラトの歌でした。このおばさんが 80 歳を過ぎてから出したファースト・アルバムからです。

F:プラトはそのまんま、お皿のことなので、 " お皿のエヂッチ " さんですね。

N:「マリニェイロ・ソ」は " 俺はただの船乗りだ " という意味で、ずっと昔から歌い継がれてきた伝承歌です。最初にレコーディングしたのはカエターノ・ヴェローゾ。 '68 年ぐらいに初めて取り上げました。

F:カエターノの '72 年のアルバム『アラサー・アズール』に参加したのが、彼女の初レコーディングでした。その当時でも既に 50 を越えていたことになりますよね。

N:別にプロの歌手ではなくて、普通の生活をしながら、でも歌が上手くてサンバ・ヂ・ホーダの名手なので、パーティや結婚式などに呼ばれては、ナイフをキシキシキシキシ鳴らしながらサンバ・ヂ・ホーダを披露していた、そういう方だったです。さっきのブロコ・アフロのちょっと張り詰めた緊張感とは違う、日常生活に根ざしたのどかなサンバですね。

F:そうですね。それで思うんですけど、虐げられていた黒人たちが、日常の苦しみや悲しみ、喜びを音楽で表現する、っていうのはちょっとニューオリンズみたいな感じもします。

N:たしかに。ただ、例えばアメリカのワークソング、あるいはブルースには結構マイナーなメロディのものが多いんですよね。ところがブラジルにはあまり暗い曲がなくて、ほとんどが明るいんですよ。風土の違いから来るのか、もちろん内側には辛さや暗さを抱えてはいるんだけど、それが表現としては、「それよりも今日は楽しく生きようよ」になる。そういう楽天的で前向きな姿勢が根っこにあるような気もします。

 

7:「シャーミ・ジェンチ」
    オ・トリオ・エレトリコ・アルマンヂーニョ・ドドー&オズマール

N:ここでガラッと気分が変わります。バイーアのサンバは、リオと並んで国内外から観光客、特に若い人がいっぱい来てものすごい盛り上がりになりますよね。

F:でも '90 年代半ばくらいには、バイーアのカーニバルの方がリオよりも断然面白い、という評判が立ってました。オロドゥンなどが知名度を得て、新聞の一面に「バイーアはリオに勝った」というような見出しがどーんと出てましたもんね。

N:その記事がたしか '93 年ぐらいでした。これまでかけてきたような、パーカッションや歌を中心とするもの以外に、バイーアのカーニバルにはなんとエレキバンドの風習があります。その名も " トリオ・エレトリコ " =エレクトリック・トリオ。最初にこのフォーマットを作った人たちがトリオだったので、ジャンル名もトリオになったというだけの話なんですけど(笑)。

遡れば、なんと 1950 年にドドーととオズマールという二人の方が、ともに旋盤工や電気の技師で音楽好きだったんですが、古い車にラッパスピーカーを積んで、自分で作った、今で言うスティックベースみたいなギターを増幅してエレキ・ギターとして演奏したのが始まりです。

ですから、 1950 年という、まだロックンロールが生まれる前の時代に、すでにブラジルのバイーアのカーニバルにはエレキ音楽が存在していたわけです。

F:とんでもないですよね。

N:そのエレキバンドの一派が、フィーリョス・ヂ・ガンジー、オロドゥン、イレ・アイェの一派と並んで、今のバイーアのカーニバルとミュージック・シーンを支える柱になっていると言えます。

ドドーさんもオズマールさんも亡くなってしまったんですが、オズマールの息子アルマンヂーニョが、ブラジルのジミヘンかブラジルのヴァン・ヘイレンかという天才ギタリストなんですよ。これはその人が中心となったグループの最近のアルバムからの曲です。

「みんな呼んで〜、俺たちもみんな呼んで〜」というバイーアのカーニバルの '70 年代のヒット曲を新たに録音したもので、さすがにすごいのは「ウィ・アー・ザ・ワールド」並みに豪華なゲストがいっぱい入ってるんですね。カエターノ、ジルベルト・ジル、カルリーニョス・ブラウン、マルガレッチ・メネーゼス……

F:とにかく沢山参加していて、どうしてこんなに大勢が集まったかというと、トリオ・エレトリコ 50 周年記念の、その名も『金婚式』という題名のアルバムだからなんです。

N:後半のノルデスチのほうで紹介する " フレヴォ " という北東部生まれのリズムを使っているんですけど、それをエレキバンド・スタイルで演奏しているわけです。この曲の演奏が始まると、群集がすごいですよ、ぴょんぴょんぴょんぴょん飛び跳ねて。

F:実際にそのなかに混じってバイーアのカーニバルに参加したことはあるんですか?

N:遠巻きにして見ていました。

F:カエターノの曲にも、「トリオ・エレトリコのあとを付いていかないのは死んだ人だけ」って歌ってる名曲がありますよね。つまり全員が付いていっちゃうんだ、と。

 

8: 「オーリャ・オ・ガンジー・アイー」ダニエラ・メルクリ

N: 7 曲目のトリオ・エレトリコ、その前のブロコ・アフロの両方をミックスして、今のバイーアのポップス・シーンがあるわけですが、ここでは女性シンガーのダニエラ・メルクリを紹介しましょう。僕はこの人を '91 年に初めてバイーアのカーニバルに行ったときに見ました。

当時彼女はソロになったばかりでしたが、彼女の登場によってバイーアのポップ・ミュージックが全国区になった、まさに功労者と言える人です。その彼女の一番新しい曲で、「ガンジーを見てごらん」という、 3 曲めにかけたフィーリョス・ヂ・ガンジーを讃えた曲です。クラブ対応も可能なダンス・ソングですが、去年のバイーアのカーニバルで非常にヒットしたんですよ。

F:バイーアのカーニバルっていうのは面白くて、この曲はダニエラだけしかやっちゃいけないかっていうと、ぜんぜんそういうことはないんですよね。

N:毎年いろんなヒット曲が出るんですけど、バイーアのカーニバルというのは、主に中心部の旧市街と海沿いの 2 箇所のストリートで行なわれて、ブロコ・アフロも出てくる、トリオ・エレトリコ・スタイルのも出てくる、ものすごい数のいろんなグループが次々にでかいトラックの上のステージで演奏しながら登場してくるんです。

ですから同時多発的にあっちこっちで音楽をやっているんですが、その年のヒット曲っていうのはあらゆるバンドが演奏するんです。だから 2 、 3 日滞在しているとその年のヒット曲は自然にわかります。

曲というのはミュージシャンや歌手の独占物ではなくて、人々のものだ、とみんな思ってるんですね。だからこそ例えばダニエラ・メルクリも、後輩でライバルのイヴェッチ・サンガーロのヒット曲を平気で歌うし、そういう図式ってデモクラティックで良いな〜と僕は思います。

 

9: 「ファラオ」カルリーニョス・ブラウン

N:カルリーニョス・ブラウン。この人はバイーアの音楽の歴史を変えただけではなくて、まさに全ブラック・ミュージック……アフリカをルーツとするブラジルの音楽だけではなくて、アメリカのファンクやヒップホップ、それにキューバ音楽やレゲエ、そして今のアフリカのポップ・ミュージック、そういったもの全部をひっくるめて食いまくってるバイーアの暴れん坊将軍です。

彼の登場が、バイーアのみならず現代ブラジルのポップ・ミュージックに与えている影響は本当に大きいと思います。この曲は7 〜8年前のカーニバル・シーズンのヒット曲でした。「俺はファラオだ、エジプトはバイーアだ」と勇ましく歌ってますが、これもアフリカをルーツとするパーカッシブな音楽と、トリオ・エレトリコの音楽のミクスチャーと言っていいと思います。

もちろんブラジルには数多くの打楽器がありますけど、その中でもチンバウという楽器を一般に広めたことも、カルリーニョス・ブラウンの大きな功績として忘れられません。チンバウというのはどういった楽器なんですか?

F:先がすぼまっている長めの片面太鼓なんです。

N:要はルーツはアタバキですよね。

F:はい、アタバキですね。実際カルリーニョス・ブラウンがこれほど使う前は、メインストリームで使われる楽器ではまったくなかったですよね。

N:彼は1992年ごろにチンバラーダというパーカッションのグループを結成して、そこでチンバウという楽器をメインに使ったんです。プラスティックヘッドなのでかなり音がでかい。大勢で叩くとものすごい音量になるんだけど、それを彼はダニエラ・メルクリとか他のバイーアのポップ・ミュージックのアーティストのCDでも、必ず使うようになった。

F:チンバウが使われていないCDはない、と言ってもいいですよね。

N:チンバウはバイーアのポップ・ミュージックのアイコンになりましたね。まさに伝統楽器のリサイクルの王者だと思います。カルリーニョス自身は貧しい家の生まれで、たしか小学校も卒業していません。

子どもの頃から缶カラを叩いたり、鰯の缶に弦を張ってギターにしていたら、パーカッションが上手くなってきて、カンドンブレのアタバキ奏者に認められます。彼に教えを受けてパーカッション奏者として 10代の半ばぐらいからバイーアのスタジオ・ミュージシャンとして活動するうちに、カエターノのバンドに入ったりして大きな存在になっていったんです。

13〜14年前にグラミーのワールド・ミュージック・アルバムを取ったセルジオ・メンデスの『ブラジレイロ』というアルバムに参加したことで入ってきた印税でチンバウなどの楽器を買って、自ら若い衆を集めてグループを組織したわけです。

彼が生まれ育ったカンヂアルは、サルバドールの非常に貧しい人たちが住んでいる地域なんですけど、若者たちに楽器を教えてグループを作っただけじゃなくて、コミュニティ・センターみたいなものを作って、学校を建てたりもしました。

学校では、アフリカの歴史やアフリカ系ブラジル人の歴史を教えたり、ちゃんとコンピューターの教室もあったり、NGO的な活動を続けています。そういう社会還元を政府や自治体の力を借りずにやっているところも本当に僕は素晴らしいなあと思います。

 

10: 「アリガ・チャン」エ・オ・チャン

N:ずっと駆け足でバイーアの音楽を聞いてきたんですけど、ちょっと堅い話が続いたので、前半の最後はすごくバカな曲をかけます(笑)。

バイーアにもリオと同じようなサンバのバンドがいっぱいあるんですけど、このエ・オ・チャンというグループは、そのなかのひとつのスタイルで、ちょっとセクシーな歌詞だったり、マッチョな黒人が歌っている脇で金髪のお姉ちゃんが踊っていたりする、そういった色モノっぽいバンドなんですけど、ものすごい人気で。

F:いつもおバカなコンセプトの曲ばっかりやるんですよね。

N:どうですか? 「アリガトー、サヨナラー」。この曲がヒットして以来ですね、我々日本人がバイーアに行くと何かにつけ「アリガトー、サヨナラー」と言われるようになってしまったというくらい、大変におバカな曲でして。最初の語りだしで「ニセイ、サンセイ、ノンセイ」って言ってましたよね?「ノンセイ」っていうのは ”I don't know” っていう意味なんですけど、つまり「二世、三世、ノンセイ」って、ただの駄洒落じゃないかよ、っていう(笑)。

F:よく出来たと思ったんでしょうね。

N:楽天的でおバカな感じというのも、ブラジル人のひとつの感受性のティピカルな側面なんですよね。こうやって聞いていると本当にバカだなーと思うんですけど、実際にバイーアに行って真夏の太陽の下でこういう曲を聞くと、やっぱり「アリガトー」とか自分でも歌っちゃうんですよ。

環境が音楽を育てるということはすごくあるので、そういう意味ではこういうのもバイーアなんだ、ブラジルなんだということで、お聞きいただきました。このグループは、昔ほどの勢いはありませんが、今でもメンバーを変えつつ色モノ路線突っ走ってます。

 


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