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07: 「スンジャタ」レイル・バンド

K :独立後のギニアの音楽は、マリやセネガルにも紹介されるようになって瞬く間に人気を博すわけです。お隣の国マリも建国を迎えて、ギニアに倣って音楽を政策に結び付けようとして、いろんな国営バンドがマリでも生まれました。その中のひとつが 1970 年にできたレイル・バンドで、日本でもファンの多いサリフ・ケイタと、 06 年の夏にも来日したばかりのモリ・カンテがメンバーにいました。モリ・カンテはギニア出身のコラ奏者ですけど、当時は歌手としてバマコで活躍してたんですね。

S :名前のとおり、交通省管轄の鉄道局のバンドです。なんだかかっこ悪いですよね、よく考えたら(会場笑)。

K :バマコとセネガルのダカールを結ぶ鉄道がありまして、終点のバマコの駅にあるホテルのビュッフェで、専属バンドとして活動していたんですね。

S :今でもやってますよ。

K :この曲は 1975 年、初期のレイル・バンドの録音で、モリ・カンテが歌う「スンジャタ」でした。

S :これはグリオそのもので、本来バラフォンでやることをバンドでやっています。それに乗って、優秀なグリオであるモリ・カンテの語りが入ってきます。これは非常に有名な物語で、マンデの王様が死んじゃったところから始まります。マンデの王様というのはスンジャタのお父さんのことですが、その後継者争いに敗れたスンジャタとお母さんの亡命生活を語っていくんです。結局彼は戻ってきてスマオロ・カンテと闘うという話で、 28 分もありますが、演奏が素晴らしいので飽きませんが、内容がわかると、もう涙ものです。マンデの人が大好きな曲です。

 

08:「マンジュ」
       サリフ・ケイタ〜アンバサドゥール・アンテルナショノー

S :レイル・バンドでは、サリフ・ケイタが最初のヴォーカリストでしたが、やがてライバル・バンドのアンバサドゥールに引き抜かれます。そこでレイル・バンドではモリ・カンテが歌うことになって、両方とも活躍していました。ところがマリは貧乏な国だったので、コートジボワールのアビジャンに出稼ぎに行っていたんですね。

K :彼らはアビジャンで苦労のどん底を味わいます。その時に録音したのが、ギニアのセク・トゥレを歌ったと言われる「マンジュ」で、これが大ヒットになるんですね。

S :サリフ・ケイタはセク・トゥレに個人的に思い入れがあったようです。

K : 79 年録音とされていますが、セク・トゥレの政権も落ち目のころで、この歌を聴いて彼はいたく感動したという話もあります。

S :放送局のスタジオを内緒で借りてこっそり作ったレコードなんですが、これが大ヒットして、アンバサドゥールはアビジャンでトップのバンドになります。3曲目でお聞かせしたギタリストのカンテ・マンフィラが、バンド・リーダーですね。

K :この成功をきっかけに、 84 年にサリフ・ケイタは宗主国だったフランスのパリへ行って、のちの飛躍の足がかりを作ります。サリフ・ケイタは、みなさんご存じのとおり、今やマリを代表する歌手ですね。スンジャタ・ケイタと同じケイタ一族の出で、貴族階級でありながら歌を歌ったので、当時は大変珍しいことだったようですね。

S :しかもアルビノですしね。先天性色素異常で肌が真っ白。目もよく見えないんですよね、実は。そういうハンディキャップがあったんだけど、ちっちゃい頃から歌を歌うことが好きで、親の反対を押し切って首都のバマコに出て行って、道ばたやバーで歌っていたのが今や世界的なスター歌手、という絵に描いたようなサクセス・ストーリーですよね。彼の歌い方はすべてグリオの歌い方です。

 

09: 「イェケ・イェケ」モリ・カンテ

K :サリフに続いてモリ・カンテも 80 年代にパリに向かったわけですが、アテにしていたのはフランス人ではなくて、お金持ちの多いパリのマンデ・コミュニティだったんでしょうね。

S : 80 年代に入ってアビジャンの景気が悪くなってきたのと、もうひとつレゲエが非常に流行ってマンデ音楽の人気が下がったのが理由ですね。彼らはお金があるところに動きますから、やっぱりパリだろうってことで、もともとマンデの移民が多かったパリにだれもが移っていったんですね。

K :当時イギリスのアイランドというレーベルがボブ・マーリーを欧米に売り出して、次のスターを探していた。そこで目を付けたのがナイジェリアのジュジュ・ミュージックのキング・サニー・アデ。そうやって欧米の中で“ワールド・ミュージック”が生まれてくるんです。そういう初期のワールド・ミュージックのなかでマンデの音楽として花開いたのが、サリフ・ケイタの『ソロ』というアルバムと、このモリ・カンテの「イェケ・イェケ」なんです。

S :ワールド・ミュージックのムーブメントの中で、パリに住んでるアフリカのミュージシャンにもチャンスが回ってきて、サリフ・ケイタたちが最新のコンピュータ・サウンドなんかも使いながらヒット曲を出していった。その最大のヒット曲が「イェケ・イェケ」なわけです。

K :パリのディスコとかでも流行ったそうですし、もちろんアフリカの都会であるバマコでもアビジャンでもコナクリでも、ナイト・クラブで流行ってみんなで踊った曲です。

S :音作りが現代的で違和感ありませんね。この「イェケ・イェケ」という曲自体はマンデの村に行くとおばちゃんたちが歌っている普通の曲です。それを自分の曲として出したので、あとで著作権が問題がなったみたいですけども、非常に印象的ですよね。でもコアなアフリカ音楽ファンには嫌いな人が多いんです。打ち込みがきつすぎるんですね。でもモリ・カンテは優秀なグリオであると共に優秀なビジネスマンでもあるんですね。私はひとつの革命的なアルバムとして、捨てがたいオリジナルな味を持ったアルバムだと思います。

 


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