桜丘町音樂夜噺 > 第12夜 > お噺:1 / 2 / 3 / 4

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01:「 トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ 」 ザ・ビートルズ

サラーム海上(以下S):今日は僕の新刊『プラネット・インディア』の内容に沿って二人で話ができればと思います。テーマは“私たちのインド……”なんだろ?

I:“私たちのインド音楽史”(笑)

S:ってことで、じゃあ“私たちのインド音楽史”始めます。さっそく、インド音楽との出逢いなんですけれど、入場の時にかかったのがビートルズの「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」という曲で、これは66年の…

I:ジョン・レノンの曲。

S:これは別にインド音楽ではないですよね?

I:ビートルズがインドの音楽、特にシタールという弦楽器を使うロックを初めてやった、と。じつはインド音楽の基本的なルールに乗っかって書かれているという意味では、私はこれこそが最初の究極の“ラーガ・ロック”じゃないかと思うんですよ。その頃はサイケデリック・カルチャーの時代で、ティモシー・リアリーというドラッグの教祖みたいな人が翻訳した「チベット死者の書」に基づいて、ジョン・レノンはこの曲を書いたんですね。その意味でも、サイケデリックとインドの融合の最北端だと私は思うんですよ。ただ、私はこの時はまだ子どもでしたし、サラームさんは生まれて……

S:ないです。生まれる前の年ですよ、このレコードが出たのは。

I:ショックです(笑)。

S:ビートルズはこの曲や「ノルウェーの森」でシタールを使ってますけど、多くの人たちにとって、そのへんが最初のインド体験だった?

I:そうだと思うんですよね。このあたりを聴き込んだ、私のひとつ上の世代の人たちがまずはインドに行き始めたのが、ちょうどその頃だったと思うんですね。ただ、私はその世代じゃありませんので、いちおう念のため。

S:なるほど!(笑)

I:私はあとになってロック・バンドやり始めてから、追体験したんです。当時まだ生まれてなかったサラームさんは、こういうものをどう評価されるんですか?

S:俺は中学生の時にビートルズを聴いて、最初はアルバムでいうと『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と『マジカル・ミステリー・ツアー』でした。初期のロックンロールやってた頃のビートルズは、俺にはなんにもおもしろいものがなくて、この「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」みたいに、コード進行がないような曲のほうが、やっぱりグッと来るわけですよ。

 

02:「 夜明けの翼 」 モンスーン

S:僕のインド音楽との出会いの曲はこれです。モンスーンっていうグループが83年に出したファースト・アルバムで、これを聴いたのは高校生くらいの時ですね。彼らも「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」をカヴァーしてました。

I:リード・シンガーはシーラ・チャンドラですけど、この声が良かったんですか? それともサウンド自体が?

S:サウンド自体もですけど、やっぱりこの異国的なメロディーがよかった。

I:異国的な(笑)。私が初めてこのモンスーン聴いた時は、すごく洗練されてると思いました。とくにインドのヴォーカルをうまく使ってるっていう意味で、衝撃を受けたバンドですね。その頃イギリスのアンダーグラウンドで似たようなインド系の動きが始まっていたこともあって、私もとくにシーラ・チャンドラは好きなんですよ。

S:シーラ・チャンドラはイギリスに住んでるインド系のヴォーカリストです。モンスーンはビル・ネルソンっていうパンク・ニューウェイヴ時代のギタリスト/プロデューサーがプロデュースしたからブレイクしたんだと思います。パンク以降、メジャーじゃなくても自分でレコード会社が作れるようになって出てきたムーヴメントですよね。

I:確かに、MTVみたいな商業主義とは違うインディー・レーベルの動きが活発になっていた時期に重なってますね。マイノリティーの人たちが簡単にレコードを作れるようになった。もちろんまだCDが出てくる前の時代です。

S:レコードの時代ですよね。僕は高崎市に住んでいたから、当時は本物のインド音楽なんてぜんぜん手に入らなくて。

I:うん、でもこれはいい出逢いだと私は思いますね。シーラ・チャンドラみたいなことやりたいって一時期思ってたこともありました、実は。

S:彼女は90年頃にWOMAD横浜(Wordld of Music And Dance:ワールド・ミュージックのフェスティヴァル)で来日してるんですよね。

I:あ、そうですね。ただ、モンスーンの時の方が好きです。

S:ポップですよね。その後もいろいろやってますけど、今は活動をやめちゃってるようで残念です。

 

03:「 ドゥン(ダードラーと速いティーン・タール) 」 ラヴィ・シャンカル

I:さて、ここからはインドの古典音楽をご紹介していきましょう。まずは北インドのシタール奏者ラヴィ・シャンカルの、1967年モンタレー・ポップ・フェスティヴァルでの演奏です。あまりにも有名で当たり前すぎる選曲かもしれませんが、これを聴いてインド音楽にはまった人が、日本でも欧米でも圧倒的に多かったんです。何回聴いても、これはやっぱり素晴らしいですね。インドの古典音楽って北と南ですごく違います。北インドのほうはほとんど即興演奏で、この演奏はそうでもありませんが、すごく長いのが当たり前です。今聴いていただいたのは、タブラという打楽器が入っている出だしの部分ですが、だんだんテンポが上がって速くなっていくのが北インドのスタイルなので、その辺を聴きながら話しましょう。

S:こういう古典にはいつどうやって出逢ったんですか?

I:私がいた東京藝術大学には、小泉文夫という有名な民族音楽学者がいらっしゃって、小泉先生が最初に研究に出かけたのがじつはインドだったんですよ。1957、58年に船で留学されてるんです。その授業でインド音楽を聴かされていたので、それなりに興味はありました。でもこの演奏を10年遅れで聴いた時には、すごく衝撃を受けましたね。特に最後のタブラとシタールの掛け合い、即興演奏の緊張感がたまらない! 初めてインド音楽に触れる方には、まずここを聞いてもらって、モンタレーの熱狂を思い出してもらいたいですね。

S:この曲は‘ドゥン’ですよね、‘ラーガ’じゃなくて。

I:そうなんですよ。ラーガの部分は長いのでやめました。ドゥンというのはメロディーという意味なんですけど、この最後の部分は……

S:普通のドゥンじゃないですよね。

I:ドゥンじゃない、いわゆる古典の伝統的なスタイルです。単なるメロディーじゃない演奏の仕方をしているという意味で、すごくいい演奏だと思ったわけです。ちなみにここでタブラを演奏しているのは、サラームさんがインドにはまって、『プラネット・インディア』を書くきっかけになった……

S:ザーキル・フセインのお父さんの故アッラー・ラカー先生ですね。

I:いや〜、このタブラも素晴らしい。

S:10年遅れの体験だとおっしゃったけれど、最初にサイケデリック・ロックがあるわけですよね? 初めにサイケデリックありき。いい時代だな(笑)。

04:「 ラーガ・ラゲシュリー 」ローヌー・マジューンダル&ザーキル・フセイン

I:サラームさんにとっての古典音楽というと、本でも何度も書かれているとおり、ザーキル・フセインですよね。

S:はい。でも井上先生がシタールを最初に選んでこられたので、僕は笛=バーンスリーを持ってきました。吹いているのはローヌー・マジューンダルです。かなりゆる〜い感じの曲ですけど、レコード屋でロックやテクノを売っていた自分が、まさか1曲30分や1時間もかかるインド音楽を好きになるとは思わなかったですね。

I:最初の頃はずいぶん寝たって書いてありましたけど(笑)。

S:だって気持ちいいじゃないですか。この曲なんか特に、ですけど。

I:じつは私も、もうひとりのシタールの巨匠ニキル・バナジーが4時間も5時間も、しかも夜中の12時から延々と演奏したことがあって、その時はさすがに寝ましたよ。やっぱり気持ちいいんですよね。

S:今までずっと長い間、インド音楽って瞑想するための音楽かと思ってました。ところが実際にインドで聴いてみたら、後半はいつもすごいバトルになるじゃないですか。それが分かった時に、俺の中で認識が変わったんですね。

I:なるほど。最初の瞑想的なゆったりとした部分で寝ちゃっても、ずっと聴いていれば、白熱したバトルを繰り広げているところでふっと目が覚めたりするんですよね。

S:これ、2000年頃の録音ですけど、さっきの67年のラヴィ・シャンカルと比べると、タブラの音がすごくきちんと録れてますよね。ラヴィ・シャンカルの時代には、タブラを、つまりアララカの演奏を聴きたいっていう人は、まだ多くなかったってことでしょうね。

I:だけど今聴くと、ラヴィ・シャンカルは、アッラー・ラカーの魅力や能力を最大限に引き出してるんですよね。

S:当時はエンジニアも、インド音楽はこういう瞑想的な音で録るもんだっていう因習にまだ縛られてたのかな。このザーキル・フセインのほうは、低音から高音まですべての音域がちゃんと録れてるじゃないですか。これが俺にとっては非常に大事だったんでしょうね。

I:私がインドから帰国したばかりの80年代には、日本のエンジニアもインド音楽の録音は2チャンネル一発録りで充分だ、って考えてたんですよ。ところがザーキル・フセインがやってきたら、36チャンネルのマルチの卓を用意しろ、って言いだした。それからですよ、録音に対する認識が本当に変わったのは。

S:親子2代かけて変えていった、と(笑)。そこに面白さを見出したから、今は日本の若者がオニンド・チャタジーとかの公演に600人集まったり、ギターを習うようにシタールを習い始めてるんじゃないかなって最近感じてます。

 

05:「 バントゥリーティ 」M.S.スッブラクシュミ

I:私はもともと南インドが専門なもので、南の古典、それも声楽を1曲フルに聴いてもらいました。M.S.スッブラクシュミという20世紀最高の女性歌手と言われた人です。1940年代くらいから有名な歌手として活躍して、ラヴィ・シャンカルよりも先にヨーロッパでも名前が知られていました。つい最近、大変な御高齢で亡くなったんですけども。

S:2004年の暮れですね。

I:私がインドに勉強しにいって、1年で帰ってくるはずが4年にもなってしまったのは、このM.S.スッブラクシュミの演奏を聴いた体験が、非常に大きいんです。

S:生で聴かれたんですか?

I:そうなんですよ。当時マドラスで開かれていた南インド音楽のフェスティヴァルでコンサートを見たんです。すっごく感動して、思わず後先なにも考えずに楽屋に行って、「ファンです」って挨拶しちゃったくらい。そういう出逢いがあったからこそ、音楽に専念しよう、南インドの音楽を専門にやろう、という気持ちが本当に固まったんだと思います。それからは1日に8時間から9時間、練習しました。

S:サレガマを。

I:サレガマを。

S:うわ〜!

I:朝、自分の先生の家に行って、午後から大学の授業を受けて、夕方には別の学校で授業に出て、帰ってきたら今度は録音してきたテープを聴きながら寝て、次の朝また8時に起きて出かける、そういう生活を3年以上続けました。

S:うわ〜!

 


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